イッショニ、イルヨ
レイは、コーディネイタードッグです。
アフガンハウンドのコーディネイタードッグです。
金の毛並みに青い瞳。
すらりと伸びた、長い手足。
きれいなきれいな、わんこです。
レイは昔、一生に一度の恋をしました。
そうして、その人はもういません。
レイはもう、恋をすることは、ありません。
レイのご主人様は、ムウさんっていいます。
半分くらい、レイと同じ遺伝子で出来た人ですが、レイとは全然似ていません。
なんていうか、中も外も、いろいろ大きい人なんです。
その奥さんは、マリューさんっていいます。
やっぱり、いろいろとっても大きい人です。
レイは今、国防総監の秘書官をしています。
国防総監は、ジュール隊長っていいます。
なんで国防総監なのに隊長なのかっていうと、すぐ前線に出て行っちゃうからです。
困ったもんです。
国防総監の奥さんは、アスランさんっていいます。
ちょっと目を放すと、すぐに困ったことを始めちゃう人です。
本当に困ったもんです。
それから、ジュールさん家には、シンっていう子わんこがいます。
優秀なモビルスーツパイロットなのですが、いつまでーも子わんこなのです。
そして、ちょっと、いろいろと・・・・おばかちゃんです。
ほんとにほんとに困ったもんです。
そんな人たちの囲まれて、レイは今、暮らしています。
みんなとってもいい人たちです。
レイのお嫁さんを探したりもしてくれます。
でも、レイは丁重にお断りをしています。
だって。
レイは、一生に一度の恋をしたんです。
そうして、その人は、もう、いないんです。
レイはもう、恋をすることは、ないんです。
「レイ、すまないが」
「はい、わかりました」
ジュール隊長は、今日も元気にお仕事です。
忙しいんです。
仕方ないんです。
でも今日、レイはお休みです。
お休みっていうかナイショのお仕事です。
今日は、ジュールさん家のお家の補修に、業者さんが来るんです。
ジュールさんのお家は文化財級なので、壁とか屋根とか、ちゃんと保存用のコーティングがしてあるんですけどね。
それも、何年かに一度には、ふき替えしなくちゃいけないんです。
大変なんです。
業者さんが来るのに、レイがジュール隊長と一緒にお仕事に行ってしまうと、お家には、本当に困ったアスランさんと、本当に本当に困った子わんこの二人になってしまうんです。
特に、アスランさんは前に、業者さんにお茶を出しただけで、半日お仕事を休みにさせちゃった前科がありますからね！
油断できません。
なのでレイは、前の日に、軍本部のあるアプリリウスから、ジュールさん家に帰ってきました。
アスランさんに余計なことをさせないのが、今日のレイのお仕事なんです。
さてさて。
やってきた業者さんに、レイはよろしくお願いしますをして、簡単な指示を出しました。
みんなプロですからね。
ちゃんとお仕事してくれます。
アスランさんが余計なことをする前に、レイはお茶の用意です。
いつもお願いしている業者さんは、コーディネイタードックが多いから、匂いの強いお茶はやめた方がいいでしょう。
お茶請けは、ちょっとお腹が膨れるもの。
アプリリウスで買って来たパウンドケーキがありますよ。
シンとアスランさんが食べちゃう前に、半分取り置いておきましょう。
それから・・・・
るるるる、と、電話が鳴りました。
このお家の番号を知っているのは、ごくごく親しい人だけです。
レイのご主人様でしょうか。
地球の元気な国家元首でしょうか。
それとも、シンの大切な人でしょうか。
レイは、電話を取りました。
それは、ジュール隊長からの電話でした。
「レイ、すぐに来い」
何故か、隊長は慌てているようでした。話が急で、まったく見えません。
「・・・・何故です？」
とりあえず聞くと、沈黙が返ってきました。
珍しい反応です。
「わかりました。軍本部ですね？」
「いや」
上司の命令はとりあえず聞いておこうと思ったレイに、隊長は、意外な場所を示しました。
「Z.C.A.F.（ザフトコーディネイターアニマルファクトリー）だ」
お茶とお茶請けは、先に出しておきました。
シンとアスランさんのご飯も、業者の人のと一緒に頼んでおきました。
アスランさんは、ジュール隊長に届けてくれよと、なんでか新作ハロを渡しました。
スイッチの入っていたそれが、
「イッショ、イッショ、イッショニ、イルヨ」
と鳴くのに頷いて、レイはきちんとスイッチを切って、それを鞄に入れました。
アスランさんは困った人ですが、時々ちょっと、可愛いんです。
だから、そのハロの下の方、メインスイッチの側にあった小さなパネルに関しては、黙っていることに決めました。
そうしてお家を出たレイは、隊長のところへ急ぎます。
だって隊長、ちょっと変でしたもんね。
レイが、アプリリウスにあるZ.C.A.F.に着いたときは、それでもだいぶ時間が経ってしまいました。
コーディネイタードッグが一匹で移動するのには、ちょっといろいろ面倒なんです。
これでも、早く着いた方です。
だってレイは、ザフトのわんこですからね。
「隊長、遅くなりました」
「いや」
それでも、隊長は待っててくれました。
忙しいのにな。
ちょっと困ったような、複雑な隊長の顔を見て、レイはちょっと不安になりました。
一体、何なのかな。
「こっちだ」
「あ、待ってください、これを」
先を行こうとした隊長に、レイは忘れないうちにと、ハロを取り出して渡しました。
「なんなんだ、あいつは。・・・まあいい」
隊長はちょっと眉をしかめて、鷲掴みでそれを受け取りました。そうして、さっさと先へ行ってしまいます。
何せ相手は国防総監。
どんどん奥へ入って行っても、咎める人は誰もいません。
そうして。
隊長が足を止めたのは、大きなガラスの前でした。
その、ガラスの向こう側には、たくさんのコーディネイターアニマルたちが遊んでいます。
みんな、やっと歩けるか、歩けないかくらいのちいちゃい子たちです。
何人もの、コーディネイターアニマルの保育士さんたちが、その子たちと遊んであげています。
その中に。
レイは、見つけてしまいました。
あの、灯りの色をした瞳を。
もういない、大好きだった人の、面影を。
「フェブラリウスで生まれる者は、今はもうオリジナルとジーンバンク由来の者が半々だ。ユニウスでは、オリジナルが大半を占める。何せ倫理団体が煩い、仕方のないことだ。しかし、ここではジーンバンクが多い。コーディネイターとはいえ、オリジナルは不安定要が多いからな。優秀な人材を確実に確保するなら、ジーンバンクを利用した方が手っ取り早い。
それでも、個体情報はランダムに抽出されているはずだ。少なくとも建前上は。・・・・いや、この場合は、むしろ意図的に排除される可能性もあったんだが」
だれも気付かなかったんだろう、と、隊長は言いました。
分子生物学分野の人間は、やたらと間抜けが多いぞ、とも。
たぶん、その中の筆頭だと言いたい人間と、同じ色の目をしたコーディネイターキャットが、ハイハイしながら近づいてきました。
まだ、自分では歩けないのでしょう。
それでも、髪と同じ黒いお耳はぴんと立って、ふわふわの毛に覆われた尻尾はゆらゆらと揺れています。
ちょっと・・・とっても、可愛いです。
可愛いとか思っちゃう自分に、隊長は頭を抱えてしまいます。
だって、モトはアレなのにー！
「入るか？抱かせてもらえるぞ」
そんな隊長にこくこくと頷いて、レイは保育士さんに開けてもらったドアから、その中に入りました。
軽いエアーカーテン、殺菌のための、わずかなオゾンの匂い。
良い思い出のないそれも、あんまり気になりません。
橙の瞳をまあくして、自分を見上げたその子猫を、レイはそっと抱き上げました。
子猫は、ふんわりとあたたかくて、柔らかくて、いい匂いがしました。
くるくるとした、懐かしい色でレイを見て、それから、にゃあと鳴きました。
「イッショ、イッショ、イッショニ、イルヨ」
そんなわんことにゃんこの様子を後ろから見ていた隊長の手の中で、ハロがいきなり鳴きだしました。
そうして、驚く隊長の手から飛び出して、ぴょんぴょんとあたりを跳ね回りだしました。
「イッショ、イッショ、イッショ！」
ハロの底にあったあのパネルは、指紋照合パネルでしょう。
隊長がそこに触れた時、強制的にメインスイッチが入るようになっていた、アスランさんのイタズラです。
「イッショニ、イルヨ！」
レイは。
昔、一生に一度の恋をしました。
そうして、その人はもういません。
レイはもう、恋をすることは、ありません。
この子は、あの人ではありません。
新しい、命なんです。
新しくて。
いとおしい、命なんです。
「ズット、イッショ！」
飛びまわるハロを追っかけながら。
子猫を抱くレイを、横目に見ながら。
イザークは、あの猫のマスター登録を、誰にしようかと考えていました。
ムウさんにお願いしような、それとも自分がなったほうがいいのかな。
レイにも、一緒に考えてもらいましょう。
あの子がもっと大きくなった、先の、話ですけれど。