頬に手のひら
シーツをかきむしる長い指が、傍らに眠る葉に届いてしまう前に、司郎はそれを捕まえた。
「おい、おっさん」
ひそめた声よりも、きつく握った手のひらのせいだろう。
彼は、闇色の瞳をふうっと開けて。
それを、幾度か瞬かせた。
「おい」
その忘洋とした様子に不安を覚え、司郎は、掴んだ手を離すと、ぺち、と、白い頬にそれを当てた。
「あんまジタジタすんな。葉が起きる」
触れた頬の冷たさに、何故だかぞっとしながら。
それでも低く声を通すと、彼はやっとさまよう瞳の焦点を司郎に合わせ、彼らしい笑みを浮かべた。
「ああ、ごめん寝ぼけてた」
ほっ、と、司郎の手からも力が抜ける。
紅葉が何かもごもごと言いながら寝返りを打ったが、起きる様子はなさそうだ。
起きているのは、兵部と、司郎だけだった。
「司郎の手、あったかいなぁ」
滑り落ちそうになった手を、兵部のつめたい手のひらが、自分の頬に押しつけた。
手のひらも、頬も冷たくて。
司郎は、なんだか怖くなった。
この人は、本当に生きているのだろうか、と。
そんな馬鹿なことを考えてしまって。
「ひ、冷えてっから、悪い夢見るんだ」
つっかえながらそう言うと、兵部は珍しく、素直にそれを肯定した。
「・・・ああ、そうだな」
そうして、ひいき目でなく、名残惜しそうに頬に押し当てた手を離すから。
司郎は、間にいた葉の、自分よりも更に体温の高い体を、ぐい、と兵部に押しつけた。
熟睡しているらしい葉は、「うン」とちいさく唸っただけで、大人しく兵部と司郎とに挟まれてくれたので。
「くっついてれば、あったかくなるだろ」
司郎はしたり顔でそう言って、もう一度、兵部の頬に手を伸ばした。
触れた頬は、やっぱり冷たくて。
それを、どうにかしてあたためたいと。
切ないほどに、そう思って。
後から思えば、たぶんそれが。
司郎が、兵部に恋した瞬間だった。
つめたい頬に、そっと触れる。
子供の体温を失った真木の手は、それでもまだ、兵部の頬よりはあたたかい。
「先に風呂に入りませんか」
その冷たさを心配した言葉を、兵部はあっさりと切って捨てた。
「ざっとシャワー浴びたぜ？」
「そのせいですか。かえって冷えてますよ」
原因がわかって、ほっとする。
確かに、髪の先だけが少し水気を含んで、本当に雑に浴びたことが見て取れた。
「いいじゃん」
しかし、彼は無造作に笑って。
「お前があったかくしてくれるんだろ」
そう言って、真木の首に腕を掛け、彼に恋する男にとって、口づけするしかない状況を作り出す。
ここで逆らっても良いことはない。
真木は大人しく、その体を抱きしめて。
彼の望むままに、濃厚な口づけをした。
「んっ・・・」
口腔を探り、舌を噛み。
彼が好きだと知っている、丁寧なキスを繰り返すうちに、抱いた体がじわりじわりと温かくなってきた。
息継ぎに少し間を空ければ、闇色の瞳はとろんと溶けて。
すっかり快楽に酔っていることを物語っていたから。
もう一度、彼の好きなキスをしてやってから、真木はその体をそっとベッドに横たえた。
そこで、はっしとネクタイを捕んでくるのは、真木が時々そこで止めてしまうからだ。
体調の悪いこの人に、無理をさせないようにと気を配った結果だが、さすがの真木も、これが癖になってしまったのには胸が痛い。
「止めませんから」
「・・・ったり前だ」
ぐいぐいとネクタイを引こうとするのをやめさせて、自分からそれを解いて見せれば、兵部は安心したように、ぺたりと真木の頬に手のひらを添える。
わずかにでも温度のある指先と、くつろいだ様子に溶けた瞳が、真木を安心させた。
キスをねだる仕草に応えながら、彼を鎧う学ランのボタンを外していく。
その下のシャツはすぐに意味をなくし、黒いズボンから白い足を引き抜かれるさまは、どうしようもなく男の欲を誘った。
兵部の体は、綺麗だ。
胸や額の傷跡さえ、その肌を際だたせる飾りに過ぎない。
キスを繰り返した唇を、ゆっくりと首筋に下ろし、鎖骨を噛み、胸の先を吸い、傷跡に触れる。
一番反応を返したのは傷跡で、それはそれで腹立たしいのだけれど。
「もう、こんなになってますね」
胸から下腹へ撫で下ろした手のひらで、立ち上がったそれを包み込めば、真木の手の中で、ひくりと慄くさまが愛おしい。
「お前、だって」
兵部の膝がぐいと上がり、真木の股間に押しつけられた。
「でっけー」
あははと笑うさまには、あからさまな強がりを感じたけれど。
「当たり前ですよ」
真木は真顔で頷いた。
「あんたが、目の前でこんな格好してんですから」
そう言って、上げられた膝を取り、ぐいとそれを押し開く。
「ぅわ」
とたんに晒された秘所は、真木の視線をもろに受けて、きゅう、と勝手に口をつぐんだ。
羞恥と期待に震えるさまが愛おしくて、そこにも口づけようと身を屈めると、背中にがこんと踵が落ちて、それから念動力でぐいぐいと引き剥がされた。
「そっち、舐めんなって」
「・・・はい」
赤く染まった頬に手のひらを添えると、ほっとしたように指の下の肌が緩むのが可愛らしい。
薄く開いた唇に口づければ、唇を軽くかじられて。
子猫の甘噛みのようなそれを心地よく受け止めながら、真木は炭素繊維の先を、サイドテーブルの引き出しへと伸ばした。
見えなくても、それを探しだし、蓋を開けるまでなら慣れたものだ。
手のひらに落としたローションを、それが温む頃を見計らって、兵部のそこへと落とし込む。
十分にあたためたはずなのに、細い腰がひくんと跳ねるのは、感じ易さ故だろう。
「ぅン・・・っ」
長いキスを終えないままに、そこに指を差し込めば、喜びさざめく熱い襞が、ねっとりと絡みついてくる。
それを振り切るように、ゆるりゆるりと動かして。
奥まで入れて、兵部の体がずり上がりかけたところで、唇を、離した。
「んふ・・・ぅ」
互いの唾液で濡れた唇が、艶めかしい吐息をこぼす。
中もゆるゆると蠕動して、随分と気持ちが良さそうだった。
「気持ちいい、ですか？」
思わず問えば、とろりと溶けた闇色が、ぽうっと真木を見上げてきて。
「ん・・・もっと」
次の瞬間、ニイっと笑い、きゅう、と後ろを締め付けてくる。
「はい」
もちろん、真木に否やはない。
ローションを足し、２本目３本目と指を含ませれば、愉んだ兵部は甘い声を上げて腰をよじった。
でも、もっと。
「も・・・っと」
これは、タチの悪い誘惑だ。
そんなもの、真木も兵部も知っている。
しかし、真木はその誘いに逆らわない。
「・・・はい」
ちゅ、と頬に口づければ、そこは、唇にちょうど良い温度だった。
些細な愛撫の心地よさに、くふんと鼻を鳴らす兵部の足を、両手で大きく開かせて。
首に掛かって来ようとする腕を、軽く屈んで迎えると、その手はまず、真木の頬を包み込んで。
ざらざらとした髭の感触を楽しむように。
愛おしむように、そっと撫でてから。
頬を滑っていった指が、しっかりとした首に絡みついて、きゅう、としがみ付いてくる。
頬に触れた指の滑らかな感覚と、温度。
かいま見えた、小さな笑顔。
腕の中の、あたたかな体。
・・・たまらなかった。
真木は、兵部のそこへと自身を押しつけると、ぬかるむそこへと突き立てた。
慣れたそこは、真木の凶器を難なく飲み込み、狭い場所できゅうきゅうと締めた。
「あ・・・・ぁ」
びくびくと震える中の反応が良すぎると思ったら、兵部のそれは、すでに達してしまっていて。
「もう、ですか・・・？」
そっと握って聞いてみれば、先端からとくんと残りをこぼしながら、兵部はふるふると首を振る。
「おまえ、が、急に・・・・っ」
「すみません」
言いながら、真木はぐっと腰を引く。
まとわりついてくる肉襞が、とてもとても心地よい。
「あ・・・っ」
惜しむような声は、作り物ではないだろう。
惚けたような瞳も、また。
そうしてまた深く穿てば、受け入れたそこは歓喜に震え。
高い甘い声が、上がった。
「ああ・・・んっ、ばっ、あ、やぁんっ！」
この人の、気持ちいいことなど、全部がぜんぶ、知っている。
ぐちぐちと、いやらしい音を立てながら、真木は兵部を追い上げる。
可愛らしい声が上がるたび、喉元にかかる熱い吐息。
掴み締めた膝上の、指を跳ね返す肌の感触。
汗で滑った手のひらが、爪を立ててくる痛みさえ快感で。
繋がった場所など、もう、溶けてしまいそうだ。
「・・・っ、少佐」
思わず呻けば、兵部は半開きの唇から、「あぅ」と可愛らしい声を上げながら首をすくめ。
そうして、ふるると身を震わせた。
「っ」
とたん、きつく締められて、真木は熱い兵部の体内へと吐き出してしまう。
でも、もっと。
もっと。
「っふあ！」
イったばかりで過敏になった襞を、真木の堅さを保ったものが、欲求のままに蹂躙する。
この瞬間を、兵部が心待ちにしていることを知っている。
労られるのも、優しくされるのも好きなこの人が。
欲しがられるのが、一番好きなことも、もちろん。
「あ、ひぁ！ああんっ！」
深々と突き立てられては、容赦なく引きずり出され、また深くされて。
兵部は泣き喚きながら、それでも真木の大きな体にしがみついた。
長い手足に籠もった熱。
それが、直にすり寄せられて。
ああ、本当に。
この人は、本当にタチが悪い。
そう思いながら熱い息を吐けば、溶けた闇を湛えた瞳が、ちらりと笑って誘うから。
ねだられるままに触れた唇は、もう、真木のそれと同じ温度になっていた。
「やーりーすーぎーだー」
「すみません」
「嘘だけど」
「そうですか」
「つっまんねー」
「はいはい」
いつもの通り、機嫌良く文句を付ける兵部の体を綺麗に拭い、中まで清めてパジャマを着せる。
いつもの、深夜のやりとりだ。
それでも、今日は本当に機嫌が良いな、ところりと寝転がったその人を覗き込むと、ん、と目を閉じてキスをねだってきた。
その、小さな顔に手を伸ばす。
両手で包み込んだ頬はあたたかく。
柔らかなそれに口付ければ、ふふ、とちいさな笑い声が上がった。
その、幸福そうな声音に安堵する。
あの、恐ろしいほどの冷たさは、ここにはない。
ただ、あたたかな。
恋人の温もりだけが、そこにあった。