春の休日
うららかな春の日の光の中、庭から、子わんこのはしゃぎ声が聞こえる。
時々混じる、愛妻の声。
そんなものを楽しみながら、イザークは居間の三人掛けのソファを独り占めし、届いたばかりの学会誌を広げていた。
いつもなら、興味のある部分だけをざっと読むことしかできないので、この休暇のタイミングで届いてくれたのは有り難かった。
「アスランさんのばかぁ！」
「シン・・・」
外から声聞こえるが、慌ただしくなる。
まあ、いつものことだと無視を決め込む。
・・・つもりだったが気になって、壁を壊して（文化財を！）無理矢理作った大きな掃き出し窓に目を向ければ、いつも通り、妻と、その腕の中できゃんきゃん喚く子わんこが見えた。
「悪かったな」
「そうだよ！」
何をしたのかは知らないが、こういう時にはたいていアスランが悪い。
まあ、あれなら大丈夫だろう。
イザークは、視線を紙面に戻す。
ブレイク・ザ・ワールドで破壊されたサクサイワマン遺跡の下から新たな建造物の形跡？
南アメリカ合衆国は・・・治安こそ良くないが、親コーディネイター国家だったし・・・・いや、しかし大西洋連邦軍がまだ・・・・
実現に少々難のある旅行計画を真剣に検討するのも、休日ならではの楽しみだ。
思考が、いかにシンの迷子を防ぐかに至ったところで、ふとイザークは、子わんこたちの声が聞こえないことに気づいた。
あいつらは、むしろ、うるさい方が安心だな。
そう思うのを待っていたかのように。
「ぎゃーーーーーーーっ！」
百年の恋も冷めるような、愛妻の叫び声。
いや、この程度で冷めるような恋ならば、あんな厄介なものと結婚なぞしなかったわけなのだが。
イザークの思考が思わず逃げる。
どうして、この家は静かな休日というものと縁がないのか。
もらった嫁がアレだからか。
そうか。
「何すんだよぅ！」
「これはダメなんだ！シン！」
「何でだよぅ！」
「だから！あのな！！」
少し遠くで、ぎゃあぎゃあと言い合う声が聞こえる。
子犬と同じ程度でどうする、アスラン・ザラ。
これではキサマと競い合っていた俺までも、同じ程度のようではないか。
イザークは頭を抱えたが。
「可哀想だろう！放してやれ！」
「そっか！かわいそうだもんね、むし！」
ああ、シンを言いくるめる程度のことはできるのか。
前にも聞いたようなやりとりに、イザークのアイデンティティは少しだけ救われた。
それと同時に、何が起こったのか、だいたい予想がついてしまう。
案の定、きゃあきゃあと言い合う声が近くなり、窓の向こうに、泥だらけの子犬を抱いた、やはり泥だらけのアスランが見えた。
「どろんこだね！」
「ああ。・・・そうだ、暖かくなってきたし、どうせだから水遊びをしようか」
「うん！」
とんでもないことを言い合う一人と一匹。
「小僧に風邪引かす気か！」
イザークは、思わず顔を上げて怒鳴りつけた。
「・・・寒いか？シン」
「ん〜？」
このバカどもめ。
「暖かいといってもまだ春も初めだろうが！バカは風邪を引かんといってもほどがある！」
「シンはバカじゃないぞ！」
「ないぞ！！」
「こんな日に水遊びなぞバカのすることだーー！」
ゼイゼイ。
「仕方がないな・・・」
仕方がないのはキサマだアスラン。
言おうとしたが、アスランが抱いた子犬を愛おしそうに見下ろす瞳に口をつぐんだ。
「シンが風邪ひいたら大変だしな。じゃあ、風呂に入ろうか」
「お風呂、やだーー！」
「なんでお前、水遊びは良くて風呂は嫌いんだ？」
「やだーー！」
掃き出し窓をからりと開けて、泥だらけの子犬を抱いた、やはり泥だらけのアスランが入ってくる。
「おい、泥を落とすなよ」
珍しく言うことを聞いてくれたのはいいのだが、毛皮に付いた泥をぽろぽろ落としながら入ってきた無頓着どもに、綺麗好きのイザークは眉をしかめた。
「大丈夫だ。おーい！掃除機！」
「ナクコハイネガー！」
イネガ掃除機、登場。
それを上からやっつけようと、ちったとったと暴れる子わんこの頭からは、もう、風呂に連れて行かれるという事実は消えている。
防音は完璧なはずだから、風呂場で騒ぐ分にはかまわない。
そう思って、イザークは自作掃除機を引き連れた妻の後ろ姿を見送った。
やれやれ、これで静かになったか。
時計を見る。
まだ、午後２時を過ぎたばかりだ。
昼食を取り終わったのが１時前だから、まだ、１時間と少ししか経っていない。
子供の行動の密度は濃すぎる。
それは、変なところばかり子供のままの、奴もまた。
ふう、とため息を付いて、学会誌をめくる。
これで少しの間は、静かだろう。
・・・・少しの間は。
ばったーん！とドアが開いたのは、それからほんの少し後だった。
早すぎるぞ、おい。
「こら待て！シン！」
「きゃーぅ！」
濡れた子わんこ、てちてちと。
足跡付けて、駆け回る。
「よし、捕まえたー！」
「わーい！」
毎回毎回よくやるな、と思っていると、アスランはそのまま、イザークの横にとさりと座り込んだ。
「よく拭かないと、風邪引くぞ」
「ひかないよぅ！」
「まったく・・・」
ごしごしと、膝の上の子わんこの毛皮を拭いていたアスランは、そのままシンをむぎゅ、と抱いて。
「ん？あったかいな。眠いか？」
「眠くないよ！」
「そうかー？」
「ないよぅ！」
「そうか・・・？」
そのまま、膝の上で撫でて撫でられしていた一人と一匹。
やがて、すこんと静かになって。
すとん、と、肩に、心地よい重みが、かかって。
「まったく、どこまでお子さまなんだ、キサマらは」
こんな近くで悪口を言われても、ぜんぜんまったく気が付かない勢いで、一人と一匹、お昼寝中。
ちらりと見れば、アスランの膝の上で、シンはでろりと伸びている。
本当に今日は暖かいな、と、改めてイザークは思った。
冬場のシンは、アスランの膝の上でも丸くなって寝る。
もっと首をよじれば、肩の上に頭を乗せた、愛妻のすっかり弛緩した寝顔。
思えば、コイツは戦争中でも、睡眠だけはがっつり取っていたのだったか。
「・・・本当に、寝てばかりだな、キサマは」
つぶやいて、緩やかな寝息をこぼす唇に、そっと触れる。
今日、アスランが起きてきたのは、昼食前のことだった。
まあ、そんな時間まで起きてこられないようにしたのはイザークなので、そこまで寝かせてやった訳なのだが。
シンと一緒にシャワーをお浴びてきたらしいアスランの肌からは、春の昼下がりには、いささかそぐわない、夜に属する匂いがした。
そう思うのは、自分がまた、今夜も彼を寝かせないつもりでいるからか。
どちらにしろ、今はこの、穏やかな休暇を愉しむだけだ。
手元には好きな本。
隣には、愛しい体温。
ゆっくりと、過ぎていく、時間。
それは、何という幸福なのだろう。
やがて、大きな柱時計が、ぼーん、ぼーん、ぼーん、と、みっつ鳴った。
春の昼下がりにふさわしい、眠たげな音。
イザークの、好きな、音。
しかし。
「おやつ！」
すっかり寝入ったアスランの膝の上、ジュール家一番のサイクルの早さを誇る子わんこが、ぴょこん！と勢い良く飛び起きた。
「たいちょー！おやつの時間だよ！！」
「・・・・・・」
「プリン！白いプリン！！」
昼食と一緒に作ったミルクプリンは、確かにそろそろ冷えている頃だが。
「・・・もう少し待て、小僧」
アスランは、まだ、夢の中だ。
もう少しだけ、寝かせてやりたい。
この、幸福を感じてたい。
というのに。
「えー！？」
「んっ・・・」
待たないよぅ！と騒ぐ子わんこに、さすがのアスランも身じろいだ。
まったく、と、イザークがため息をつき、そっと、アスランの頭を押しやろうとした時だった。
「隊長、俺が行きます」
イザークたちの斜向かい、Ｌ字に配された向こう側のソファで、今までずっと本を読んでいたレイが立ち上がった。
「行こう、シン」
「うん！」
アスランの膝から、ぴょーん！と飛び降りて。
それから振り返って、子わんこ。
「アスランさんとたいちょーの分も持ってくるね！」
そう、目をきらきらさせて言うものだから。
「いや、いい」
「取っておこう、シン」
イザークとレイ、同時に言って。
「むー」
ちょっと納得がいってなさそうなシンを、しかしレイは上手にあやして連れて行く。
レイには頭が上がらないな、と、国防総監、本気で思って。
それから。
そっ、と、アスランの髪を撫でつけた。
キッチンからは、おやつに作ったミルクプリンの、甘い匂いが漂ってくる。
それは、偶然手に入れた桜花の塩漬け入りの、少しオトナな春のお菓子。
それでも、シンは喜んで食べるだろうし。
それはきっと、こいつも。
外では、春の日が、そろそろ傾き始めていた。
さて、夕食には何を作ろう、とイザークは思う。
何か、春らしいものがいい。
アスランの、好きなものがいい。
柔らかな春キャベツが頭に浮かんで、イザークは思わず笑みをこぼす。
それは、幸せな春の休日だった。