「真木、花火見に行こうぜ」
そう言われても、真木はさして驚かなかった。
「前みたいな騒ぎは御免ですよ」
隅田川の花火大会を上空から見下ろして、バベルに見つかり女王たちと追いかけっこになったのは去年のことだ。
あれは、ちょっと大変だった。
「それに、まだ花火には早いでしょう」
まだ5月も半ばだ。花火には、まだ、だいぶ早い。
「早かないさ、ほら、行くよ」
しかし真木の意向など知ったことではない兵部は、そのまま、彼の仕事部屋からテレポートをかました。
連れて行かれたのは、日本のどこか、田舎の河原の土手だった。
恐らく、祭りなのだろう。川沿いの道にはずらりと夜店が並び、夜店に混じった地味なテントのスピーカーから、割れた音で一昔前の流行歌が流れていた。
山間の夜は早いのか、それとも経度の問題か。カタストロフィ号にいた時にはまだ残照が残っていた空は、群青に染まった空に、山の稜線が美しい頃合いだった。
「真木、やきそば食べたい」
「あー、はい」
早速夜店の一つを指さす兵部に、真木は逆らわずに財布を取り出す。
こういった行状が多いので、最低限の身の回りのものは、常に携帯している癖がついていた。
財布の中身は今、ほとんど日本円だったので、日本国内で助かった。
「あ、あのフランクフルト凄え長ぇ。あれと、ベビーカステラと・・・夜店のケバブって美味いと思うか？」
「知りませんよ」
「じゃあケバブ。たこ焼きは帰りにしようか」
「そうしてください」
買い込んだ諸々にラムネを足して、兵部は焼きそばをもそもそと食べながら人混みを器用に避けて先へ行く。
「うちの食事の方が美味しいでしょうに・・・」
それ以外のものをすべて持たされて、愚痴る真木の口元に、箸で摘んだ焼きそばを突き付けて、兵部はニヤリと笑って見せた。
「夜店で食うから美味いんじゃん」
ほら、食べてみろよ、と言われ、それに口を付けると、兵部はそれをパックごと真木に押しつけた。
どうやら飽きたらしい。
「まあまあ・・・ですね」
代わりに取ったフランクフルトの先に、わざわざ上目遣いでかぶりつく口元から目を反らし、真木は率直な感想を口にした。
高火力の大きな鉄板で焼いた焼きそばは、具がなくても意外と美味い。
真木がそれを二口ほどで食べ終わったところで、夜店の列を抜け、そのまま兵部について橋を渡ると、とたんに人が少なくなった。
「ああ、今年の打ち上げは河川敷じゃないのか」
じゃあここにしよう、と、半分ほど食べたフランクフルトをまた真木に押しつけ、橋の袂の手すりに寄りかかる。
付近には交通規制が敷かれているらしく、車が通らないことを確認して、真木は兵部の後ろに立って、やたらと長いフランクフルトに取りかかった。
割れた音で鳴っていた音楽が小さくなり、たどたどしい女性の声が、二度ほど噛んで花火大会の開始を告げた。
「真木、カステラ」
「はい」
まだあたたかい紙袋を主に渡したところで、どん、と胸の真芯を叩かれたような衝撃があった。
見れば、光の筋が空へと上がり、見上げ切ったところで花開く。
赤から橙へ変わっていく光の花が、視界いっぱいに広がるのは圧巻だった。
「・・・ん、やっぱ花火は見上げるに限るなあ」
どん、どん、と続く音の合間、主の声が聞こえたので、やはり合間を縫って、相槌を打つ。
「そうですね」
敵対組織との追いかけっこやその後始末がないのは有り難いが、それ以上に、兵部が無心に花火を楽しんでいる様子なのが、真木には嬉しかった。
まだ春の冷たさを残した風が、少し強めに吹き付けて、白く煙った煙と共に、まだ赤あかとした色を纏った花火の残滓が、ひらひらと降り注いでくる。
ここは風下だな。
そう思いながら、主の髪に付きそうだった熾火の色を、闇に紛れた炭素繊維で払った。
「花火の火薬の匂いってさー」
もむもむと、ベビーカステラを噛みながら兵部が言う。
銀の髪に映る、赤い光が美しい。
「爆弾とかと、なんか違うんだよな」
「そうですね」
正直、真木にはその違いがよくわからなかったが、言われてみればそうかも知れない。
風がまた、強くなった。
それでも、綺麗な円を描く花火を作る職人には敬服する。
真木は、上着を脱いで兵部の肩に掛けた。
やはり、夜風は冷える。
周りの人間も、皆、兵部のように上空に夢中で、この妙な取り合わせの二人組を気にかけていないようなので、助かった。
兵部はもう、ベビーカステラの袋に手を突っ込んだまま、口を開けて空を見ている。
長く生きてきたこの人でも、こうして無邪気に夢中になれるものがあることが喜ばしい。
空に広がる大きな花が、一際明るくあたりを照らし。
そうして、不意に。
兵部が、空から真木へと、見上げる先を変えた。
「なあ真木」
「はい」
どん、と、また空の花が打ち上がって。
兵部は空へと視線を戻し、それが花開き、散っていく様をとっくりと愉しみながら。
「たまには、デートもいいだろう？」
そう、赤い光の映る唇で、言った。
「・・・そうですね」
そう答えると、その唇は柔らかく笑んで。
しかしすぐに、その言葉を忘れたかのようにひっくり返す。
「来年は、みんなも連れて来ようかなぁ」
機嫌良くベビーカステラを頬張る、この人が望むなら。
「そうですね、去年のような騒ぎは御免ですが」
この規模なら、まるごと買い上げてはどうだろう。そう本気で考え始めた真木の手から、今度はケバブを奪い取り。
兵部は空を見上げたまま、それを齧った。
「拘るなぁ」
「あんたはもう少し気にしてくださいよ・・・」
見上げた先では、夜空に開いた花の残滓が。
きらきらと光って、いつまでも、天高く留まっていた。