初めてのキスで
初めてのキスで、鼻血を出しました。
もともと逆上せやすい性質なので、やばいと思ったらすぐに鼻をつまんで上を向く。
ほとんど反射の一連の動作に。
恋人は、いつもの無表情の上に「呆れた」という雰囲気を乗せて、ふう、と、ひとつため息をついてくれた。
だって仕方がないじゃないか、と早瀬は思う。
唇、スゴく柔らかかったんだよ。
さら、と、長い前髪が、早瀬の額を擦って。
スーツ越しでも、向こうの体があったかいのがわかって。
なんかスゴくいい匂いがして。
思わず目を開けちゃったら、間近のレンズ越しに長い睫があって。
唇、離れたら、それがふっ、と動いて。
黒目がちの、濡れたような瞳と、眼が合って。
それで。
・・・やばい、思い出したらまたやばい！！
鼻をつまむ指に力を込める。
正直痛いケド、今はとにかくこのヤバさを散らしたい！
ふが、と、塞がれた鼻が鳴った。
あ、血が口まで下りてくる。
「吐き出せ、早瀬」
「ふぁ・・・わかってまふよ」
伊達にいつも鼻血吹いてません。
血を吐き出していたおかげで、うっかり出そうになった情けないセリフは言わずに済んだ。
良かった。
「早瀬」
目の前にティッシュが差し出される。
有り難くもらって、とにかく鼻に詰める。
「止まらないか」
「ふぁい」
なんだか泣きたくなってきた。
そりゃ、今すぐこの人なみにカッコ良くなるなんて無理だケドさ。
ここまでカッコ悪くなくたっていいじゃん、俺！？
「座った方がいい」
とん、と背中に当たる手のひらの感触。
あったかくって、気持ちいい。
普段、ひどく冷たく見えるこの人の、こういう些細なところから漏れる優しさって。
卑怯だよなぁと、早瀬は思う。
「ふぁい・・・・」
促されるままにベンチに座り、額に手を当てられて、気持ちいいじゃねえかちくしょう、ますます止まらねえよ！と思いながら、やっぱり促されるままに横になろうとして。
「・・・・・！」
それに気づいた早瀬は、ファクターの強力な腹筋に物を言わせて、なんとか倒れかかった体を途中で止めた。
「どうした」
しかし、それは先輩ファクターの更に強力な腕力と、超強力ド天然にかなうはずがなく。
早瀬は、森次の膝の上に、頭をごつんと乗せてられてしまった。
「横を向け。・・・頭は上げておいた方がいいだろう」
「・・・・・」
もう、返事も出ない。
しなやかな筋肉の付いた腿は、程良い弾力と固さで、頬に当たるとものスゴく気持ちがいい。
スーツの生地の匂いに、甘い肌の匂いがかすかに混ざっているのが、鉄臭い鼻腔からでも、わかる。
上からのぞき込んだカオが、いつもの無表情なのに、なんか。
なんか、スゴいキレイで。
「ふぁ・・・・」
やばい、逆上せが止まらない。
「一度、耳鼻科で診てもらった方がいいだろうな。逆上せやすい体質は仕方がないが、鼻の粘膜も弱いだろう。確か、医療試験部の臨床二課に耳鼻科の専門医がいたはずだ。あそこの所属医師は皆、医療センターのローテーションに入っているはずだから・・・」
そこまで言って、森次は、じいっと見上げる瞳に、気が付いた。
「どうした、早瀬」
近づいてきたレンズ越しの瞳に、わたわたと慌てた早瀬は、ごくんとまだ血の混じっている唾液を飲み込んで。
「ふえぇっと。だってアンタ、いつもよりぜんぜんやさしーから」
言ってから、また、ごく、と鉄の匂いのする唾液を飲み込んだ。
間近から、射られるような不動の瞳。
うわ、やば、怒られる。
しかし。
「・・・早瀬」
ふう、と、柔らかなため息が、さっきキスした唇にかかった。
その感触を思い出して、早瀬の頬に、更に、朱が上る。
「恋人に、優しくしたいと思うのは人として当然だと思うが」
仕事とは違うだろう、今は、と。
仕事着のスーツを着たままの上司で恋人は、ごくごく、何でもないことのように言ってくれて。
早瀬はまた、あふれてきた鼻血と戦う羽目になった。
いつもいつも、仕事をしているイメージのこの人が、こんなコト言ってくれるなんて。
アンタもう、ヤバ過ぎですってば森次さん・・・
膝の上の熱を心地よく感じながら、森次は、ふう、と、もうひとつため息を付いた。
まったく。
キス程度で鼻血を出しているようでは、この「先」にたどり着くのは、一体、いつになることやら。
しかし、その道程すら楽しんでいる自分を感じて。
森次玲二はくすりと笑んだ。
彼の正義の味方は、膝の上で、その笑顔を目撃してしまい。
一生懸命鼻を押さえ、己の若さと戦っていた。