colors ２
鈍い銀色。
アスランの銃。
ザフトの、銃。
シンも、今、手にしているもの。
シンが知り合った少年を、殺した。
「くそっ！」
そのまま大きな手に頭を押さえ込まれ、遠い銃声を３回聞いた。
すぐさまアスランが、また顔を上げて引き金を引く。
耳が慣れたのか、すぐ側で聞く銃声に、もう頭痛がすることはない。
「この下は岩場だ、下りられない。あの水門の向こうから砂浜になってるんだが・・・行けるか？」
瓦礫の後ろには、堤防が迫っていた。アスランの言う水門までは、２〜３０ｍはあり、行き着くまでは銃弾に身を晒すことになる。
その下は、シンが昼間いた、あの入り江だ。
「おいシン！」
呼ばれて。
硬い硬い、翠玉の瞳に覗き込まれて。
シンは幾度か瞬いた。
「大丈夫か、お前」
「あ、・・・はい」
何が大丈夫なのか、何が「はい」なのか。まったくもってわからない。
シンの目の前は、今、真っ赤だ。
あの少年の血で、真っ赤だ。
「お前が先に行け。降りて右にボートを繋いである。・・・・よし、行け」
頷いたアスランに、背中を押された。
シンは、迷わず。
迷うことすら思いつかずに、機械的にただ走る。
後ろで銃声がした。
誰が撃っているのかは、もうわからない。
ただ、水路を飛び越えて。
堤防を、飛び下りて。
砂浜までは５〜６ｍほどあったけれど、着地点がしっかりしていれば問題はなかった。
殺し切れなかった衝撃に、湿った砂に靴が半分ほど埋まった程度だった。
そのまま、アスランに言われたとおりにボートを探す。
小さな浜と、岩場の境にそれは隠れるように浮いていた。
とさ、と後ろで軽い音がして、ボートへ走るシンを追って来る。
たちまちのうちに追いついた足音は、そのままシンを追い越して、岩場に打ち込んであった係留用のアンカーを力任せに引き抜いた。
「エンジンかけろ！」
「はい！」
ボートの扱い方など、アカデミーで一度習ったきりだが、それでも勝手に手が動いた。
ボートが、薄闇の海に滑り出す。
「岩に気をつけろ。岸に寄せるな。真っ直ぐ沖を目指せ」
「でも、寄せないと狙われませんか？」
このまま沖に向かったら、自分たちはいい的なのではないだろうか。
回らない頭でそこまで考え、アスランの言葉に黙らされる。
「追っ手はすべてやったはずだ。今は海面下の岩の方が怖い。・・・・この手で、泳ぎたくはないな」
言われて。
右利きのはずのアスランが、左手で銃を持っていることに気が付いた。
いつから？
シンは思い出そうとしたけれど、店を出てからの記憶は、少年の血の赤で霞んでしまっている。
まったく、思い出せない。
「あんた・・・・」
「たいしたことはないさ。貫通している」
ゆっくりと濃くなっていく闇の中、黒い私服が濡れているのがわかった。
「このまま、グリーンデルタ・・・あの星の方へ向かえ。・・・・しかし、困ったな」
シンが目を凝らして舵を操作しているのを眺め、傷を縛りながらアスランがぼやく。
「あそこの、反ザフト民兵組織を一掃する計画があるんだ。今日知ったんだが・・・警戒された。逃げられるだろうな」
反ザフト民兵組織。
なら、銃を持っていた彼も、そうだったのだろうか。
普通の少年に見えた。
シンに、花束を作ってくれた。
白い花を持ったその手で。
シンに、銃口を向けた。
そうして。
この人に、頭、吹っ飛ばされて、死んだ。
「渡された資料には、書いてなかった。あそこは、グリーン（安全地帯）で」
「お前が出た後、訂正が出たんだ。簡単な入力ミスだな。仕方がない」
地球の版図は移り変わりが早く、そうして複雑だ。現在ザフトの勢力圏内になっていても、警戒区域の赤は、基地の近くにも点在していた。
「お前がまた勝手なことをして、申請とは違う場所にいることを願ったぞ・・・なんでこういうときだけ、ちゃんと許可されたとおりに動いてるんだ。まったく」
「なんで規則守って文句言われなきゃいけないんですか」
アスランの勝手な言いように、シンもいつもの調子が戻ってきた。
視界が闇に侵されて、脳裏に染み付いた赤が、少しづつ、消えていく。
「すまない。ただちょっと・・・話をしていないと、気を失いそうなんだ」
失血が酷い、と、彼は言った。
「あんた・・・・」
「スピードは上げるな。急いで来たからエネルギーチャージが十分じゃないんだ。このまま真っ直ぐに行けば、ハイネが拾いに来てくれる。・・・救難信号なんか出すなよ。他所に拾われたら困る」
「なんで間抜けに撃たれたりしたんですか。英雄のくせに」
「うるさい。・・・・さっさと全部撃たなかった俺の甘さだ。敵に背を向けたら、撃たれるに決まってるのにな」
「ほんとですよ」
言ってから。
敵に背を向けるって。
シンを先に行かせた、あの時のことだと、気が付いた。
目を凝らすと、深くなっていく闇の中、うずくまるアスランの足元には、黒い水たまりが出来ていた。
それは、シンの脳裏に残る、少年の流したあの鮮やかな赤と同じ物とは、到底思えない。
ただ、黒く、そして海の匂いにも増して、生臭い。
「・・・・おい、何かしゃべれ」
低い声で、アスランが言う。
「何かったって・・・・」
「なんで急に休暇なんか取ったんだ」
言いよどむシンに、アスランが無理やりに話題を振った。
「取っちゃ駄目なんですか。休むなら今だとか言ったの、あんたでしょうが」
「駄目だとは言ってないだろう。ただ、お前、いつも休みを取らないのに、こういう時に限って・・・・しかも、こんなところに」
「だから俺の手持ちの資料じゃ、グリーンだったんですってば。それに、あんたが来なきゃ、無事に帰れたかも知れないじゃないですか。俺、ナチュラルだと思われてましたよ」
「本当に、帰れてたか？」
「本当です！」
少年の話を聞いていたときの、背筋を伝った冷たさ。
ぞっときた震え。
それを思い出さないようにして、シンは無理やり強い声で言う。
「なら、悪かったな。休暇の邪魔をして」
ゴトリ、と、妙に響く音がした。
アスランが手放した銃が、ボートの底に落ちた音だった。
「・・・・アスランさん？」
「大丈夫だ。血も止まったみたいだしな」
アスランの声は、しっかりとしていた。
シンはほっと息を吐く。
「そういえば、答えを聞いてない」
アスランは空を仰いだ。
闇色の髪が、本物の闇にはためいて、そのまま溶けて消えてしまいそうだった。
「なんで急に休暇なんか取ったんだ」
「・・・・・プライベートですよ」
「そうか、すまない」
重ねて聞いた割には、あっさりと引き下がられ、シンは拍子抜けする。
それで。
「・・・・命日なんです。家族の」
あっさりと、答えてしまっていた。
「そうか、すまない」
「なんで謝るんですか」
「・・・・・・・・・すまない」
だいぶ沖に出たが、風のわりに波は静かだ。
ボートのモーター音ばかりが響く。
あたりは暗くて。
何の色も、ない。
シンの頭をいっぱいにした、あの、赤も。
「・・・俺が行かなきゃ、アイツは撃たれずに済みましたか」
シンの言った「アイツ」が誰なのか、アスランにわかっただろうか。
「どちらにしろ、攻撃計画が立案されていた。時間の問題だ」
「そうですか」
床に落ちた銃を見る。それは、ひたひたと黒い液体に浸されていた。
「・・・・あんた」
「ん？」
「血、止まってないだろ！」
床の染みは増えている。
アスランの声には、いつもの強さがない。
「いや、止まってる。負傷したのは一度や二度じゃない。そのくらいわかるさ」
シンは空を仰いだ。
迎えに来るという、ハイネの機体はまだ見えない。
「・・・・・シン」
呼ばれて振り向くと、翠の瞳と目が合った。
闇の中で、たったふたつ。
鮮やかに見えるグリーン。
「人が死ぬのを、見たくないなら。軍人なんかやめろよ」
「・・・・・・」
シンは、言葉を失って。
ただただ、その翠を見つめて。
それから。
「・・・・・やめて、どうしろって言うんですか」
そう、搾り出すように言った。
シンは、ザフトのエースパイロットだ。
それは、シンの望んだ生き方で。
そうして、他に生きる方法を知らない。
アスランは、何か言いたそうに口を開いたが、結局何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと息を吐いて。
「・・・・・すまなかった」
また、意味不明に謝ってから、ふうっと目を閉じる。
翠の瞳が、見えなくなる。
「アスランさん・・・・？」
遠くなった陸の影から、ふっ、と月が昇った。
十六夜の明るい月。
薄蒼い闇を纏ったまま、それでも、世界は色彩を取り戻す。
そうして、その月の下。
アスランの血は、闇を吸ってなお、赤かった。
「おい！」
思わず肩を掴めば、ぐらり、と体が傾ぐ。
慌てて抱き止めたシンにゆっくりと首を振り、アスランは目を閉じたまま、呟くように言った。
「大丈夫、なんだ。俺は、覚悟があるから」
「ちょ・・・・しゃべんない方がいいって」
「でも・・・お前は、ほんとうにそれでいいのか・・・・・？」
「何言ってんだよ、おい！」
想像よりも細い体は、しかし、奇妙に重かった。
シンにもたれかかったアスランの右手は、ぐっしょりと濡れて冷たかった。
彼を支えた、自分の手を見る。
赤。
危険を示す色。
死んだあの少年と、同じ。
「アスラン！」
「大・・・丈夫」
そのとき、二人の上に、月光をさえぎる黒い影が下りてきた。
ハイネの機体のオレンジを、シンはこれほど頼もしく思ったことはなかった。
翌日。
「・・・だから大丈夫だと言っただろ」
「あんたの言うことなんか信用できません」
シンがアスランの部屋を見舞うと、彼は、既に端末を立ち上げて仕事をしていた。
全治三週間だと聞いていたのだが、右手を吊ったアスランはけろりとしている。
シンを見返すのは、どこまでも穏やかな翠色。
しかし、軍服は、赤。
シンと同じ、赤。
昨日見た血よりも、ずっと鮮やかな。
「お前たちに信用されてないと、仕事にならないんだがな、俺は」
「仕事なんか、してるでしょう今・・・・何やってんですか片手で」
「昨日の始末書だ。お前も書けよ」
「え、なんで！？」
「元はと言えばお前のせいだろう」
「だから、あんたが来なきゃ何もなかったんですよ！」
噛み付いて、近寄って。
翠の瞳に、間近で見上げられて。
「すまなかったよ。でもな」
その色は、グリーン。
安全を、示す。
「あんまり、心配させるな」
シンは、赤い瞳を瞬かせ。
「あんたが言うな！」
そう、怒鳴った。