夕日
顔に、熱を感じた｡
「夕日、か」
光を失ってから、十兵衛は己の心眼が研ぎ澄まされていくのを感じていた。
「うん」
花月が頭をめぐらせたのが、気配でがわかる。
十兵衛の目の治療にと、花月に引っ張り出された温泉宿で、ふたり、何をするでもなく凭れ合ってぼんやりとしていた。
何もしない時間、というものは、とても贅沢だ。
贅沢すぎるので、修行（？）をしようとしたのだが、花月にやめてくれと懇願されてしまった。
だから、ふたり。
ふたり、夕日の中で｡
「夕日は、昔と変わらんのだろうな」
「あたりまえじゃないか」
答えた声は彼らしくない厳しいもので、十兵衛は少し、驚いた。
「ごめん」
そして、続いた弱い謝罪に、先ほどの声の理由を知る。
「貴様が、気にする必要はない」
「そんなわけないだろう。僕のせいなのだから」
繰り返されるやり取り。
肩にかかっていたの重みが消え、十兵衛の前髪に触れる気配があった。
あの細い指が、いま、目の前にあるのだろう。
それはほんの一瞬だけ、布の上から目蓋に触れて離れ、とさりと先ほどとは違う向きで、十兵衛の肩に、花月のぬくもりが戻った。
「光は見えずとも、熱や気配はわかる。夕日は、昔と変わらんのだろうな」
少し濡れたままの、長い髪に触れる。宥めるように梳くと、今度は、柔らかな声が答えた。
彼らしい、声だった。
「ああ、変わらないよ」
無限城では、花月を守ることと、自分が生き抜くことがすべてだった。
空のない廃墟群、あの場所で、夕日など見たことはなく。
十兵衛の中の夕日は、
花月とふたりで見た、遠い記憶。
それが最後。
「夕日が血の色っていうのは、嘘だよね」
唐突に、花月が言った。
手のひらを乗せたままだった頭が動き、腕が肩を擦る。
「全然違う」
ずっと自分を向いていた声が、遠く、空へと放たれた｡
日が、わずかに陰るのが、体感でわかる。
花月の、手のかたち。
夕日に手を伸ばす花月。
伸びやかな腕、うつくしい指のかたち。
あかい光が見えたようだった。
記憶の中よりも、ずっと大人になった自分たちが、
記憶の中と、同じ夕日の中に、ある。
「きれいだな」
思わず出た言葉に、花月は驚いたようだった。
息を呑んだような気配。
そして。
「うん、きれいだ」
聞こえた声は、笑っていた。
ふたりで見る夕日は、遠い記憶と同じ色。
闇の視界に、あかい色。
きれいだね・・・