夜の花

---

「十兵衛、こっちだよ！」

リン、リン、と、前を行く花月の鈴が、春の空気を震わせる。

その後を、十兵衛はゆっくりと歩いていった。

「待てよ、花月。危ないぞ」

 

広い、風鳥院家の庭。

不自然でなく、しかしきちんと手入れされたそこも、夜となれば随分と様子が違って見える。

まるで、森の中へ迷い込んだようだ。

親に内緒で、いつも花月と遊んでいた十兵衛だが、夜に誘われたのは初めてだった。

木々の隙間を、舞うようにすり抜ける花月の着物の袖だけが、木漏れ月に淡く輝いている。

「おい花月、どこまで行くんだ？」

「もう少し！」

 

そこは、屋敷の屋根も見えないほどの庭の奥。

既に裏山かもしれない緩やかな斜面が、そこだけ樹木が植えられず、草地になっていた。

おそらくその空間は、真ん中に枝を伸ばす一本の桜のためのもの。

 

リンッ、と、ひと際高く鈴が鳴らし、花月がくるりと振り返った。

「ねっ、キレイでしょう？」

頭上の半月を、さやかに受け止める、咲き初めの淡い花。

「・・・・・ああ」

その下で、あでやかに笑う幼い花。

これが見せたかったんだ、と、得意げに。

 

花をふり仰ぐ、白い喉が月影に映える。

天へ伸ばされた、指は細く。

笑みを刻む唇は、夜目にも赤く濡れている。

 

「キレイだな」

そう思う心のままに、十兵衛は花月を抱き寄せた。

「・・・・・ぅん」

長い長いキスの後、花月の唇が、答えとも喘ぎともつかない声を洩らした。
十兵衛をたまらなくさせる声。

先ほど目を惹かれた喉を指でたどり、顎を掴んでもう一度口づける。

腕の中の体が震えるたび、リリン、リリリン、と鈴の音が、鳴いた。

 

 

 

 

 

「桜の下に、死体が埋まってるっていうのは、嘘だよね」

十兵衛の肩に凭れて座り、花月が言った。

「何故だ？」

その髪を手櫛で直しながら、十兵衛は問い返す。

「死体なんか埋めてくれなくても、この花はキレイに咲くんだよ。自分でちゃんと、ね」

花を見上げる花月の瞳が、夜を映して艶やかに光った。

「そうだな」

 

死体なぞ、埋めてやらなくても。

みずから花開く、夜の蕾。

 

夜の花。