宵闇の中、目の見えぬはずの小鳥がチチ、と鳴いた。

それは、永泉に渡した瑠璃色の鳥。

紙に、鳥であった命を封じた式神。

その言葉を解すのは、造り主の泰明だけ。

「そうか。すぐに行くと伝えろ」

それから、今の主の、永泉だけ。

御室の御所は、しん、と静まり返っていた。

ほのかに灯された灯台の側で、膝をそろえて座るうつくしい姿は、幽玄の幻のようだった。

「やすあきどの」

ふわりと笑む頬は、燈色を映してなお、白い。

「ご足労頂いて・・・申しわけありません」

「なんだ、それは」

裾を払い、永泉の向かいに座る。灯りがわずかに揺れ、永泉の表情をひと時だけ、変えた。

「ええと・・・その」

「お前は僧よりも巫覡に向いているな。何を降ろしたかわかっているのか」

泰明の目には、永泉の中に、大きな黒蛇が見えた。

双つの頭、黒曜の瞳。

伝承のひとつやふたつ、語り継がれているだろう、闇の大蛇。

「はい。あの、でも・・・声が、聞こえたのです。寂しいと・・・暗くて、寒いと」

永泉がうつむくと、さらり、と黒い髪が落ちる。

ぎろり、と、漆黒の目が睨む。

泰明はそれを、冷たい瞳で睨み返す。

「ですから、その、経を上げて差し上げましたら・・・・」

「お前の言霊には力がありすぎる。むやみに経など上げるな」

「でも・・・私は、僧ですし・・・・」

僧であろうと、巫覡であろうと、永泉が聖別された人間であることには変わりはない。

そして泰明は仏を知らない。神ならば、例えば今、永泉の身に憑いているようなものならば、知っているが。

永泉は更に小さくなり、黒蛇の目が更に光る。

威嚇しているつもりか、馬鹿者め。

「祓うぞ」

泰明は、永泉に手を伸ばす。双頭のひとつが、くい、と伸び、なお暗い顎を開いた。

上等だ。泰明の瞳に力が増す。

しかし、その黒い鼻先に、泰明の白い指が触れる前に、身を引く永泉の動きに合わせ、黒蛇の体が引かれ、離れる。

「だ・・・だめです！」

「では何故、私を呼んだ」

泰明の声が強くなる。永泉の体が小さくなる。

「あ・・・あの、この方が他に影響を及ぼさぬように、私の中に封じていただきたいのですが・・・・」

四つの黒い目が、そうしろと頷いている。

「祓うのは、かわいそうです・・・住む土地を追われ、鳥辺野の沼に、いらっしゃったのだそうです。でも、そこでも疫病を流行らせてしまったそうで・・・」

「祓う」

「やすあきどのぉ・・・」

今度こそ、泰明の手が永泉の腕を掴んだ。黒蛇が顎を開くが、永泉の白い手が、とっさのそれを阻む。

四つの黒曜石と、琥珀、翡翠は睨みあったまま。

黒蛇は動かない。いや、動けないのか。

泰明は動いた。

永泉の細い指が泰明の口腔へと導かれ、食まれる。

かし、と。

蛇よりも鋭い歯が、永泉の指に食い込んだ。

泰明の舌に触れた指先がひくんと震え、しかし永泉は無言で、泰明と睨みあう黒蛇のうろこを見上げていた。

わずかな唾液を引いて、泰明の唇が離れる。

白い指に赤い血がぷくりと盛り上がり、蛇の黒い目が、その赤い点へと向いた。

それが、雌雄を決する。

泰明の懐から取り出された生紙が、永泉の指先の、赤玉に触れた。

つ、と。

紙が、赤い血を、吸う。

「あ・・・・」

泰明の手からはなれた生紙が、ふわりと舞って灯台の向こうの暗がりに落ち、影になった。

「是は私のものだ」

引き寄せた指の、自ら傷つけた傷を舐め、泰明は宣するように言った。

「泰明殿、あれは・・・・」

「それさえわきまえれば、是を守る命をやる。わきまえぬのなら滅する」

生紙の陰が、動く。

するすると、双頭の黒蛇へと。

ゆらりと開かれた四つの瞳は、永泉の血の色に染まっていた。

「うヌノ命などイらヌ。我ハミコノモの」

「かたちを与えてやったのは、私だ」

「借リはかエス」

そうして、黒蛇は闇へ溶けた。

「あ・・・あの、泰明殿、あの方は・・・」

蛇の消えた部屋の隅を見つめ、永泉は問うた。

それを不満に思った泰明は、癒したばかりの指先をまた、噛み。

「お前の血を以って、式に封じた。依存はあるまい」

誰の式、とは言わなかった。

あの小鳥と同じだ。永泉は意識せぬ方が、より能く力を使う。

「笛でも吹けば・・・いや、呼べば現われる。それまでに名を考えておけ」

泰明は、灯台の明かりを吹き消した。

「穢れを祓うぞ」

「は、い・・・」

闇の中、ふたつの影がもつれ合い、重なる。

それを、四つの紅玉がひたりと見ていた。