海の色
シンが走ると、蹴立てられた砂が、白く光って綺麗だった。
そのまま波打ち際へ突っ込めば、跳ね上がる波しぶきは、もっと、綺麗で。
ただでさえ強い日差しに目を焼かれていたアスランは、細く細く目を細めた。
「何してんですか、アスランさん！」
「いや・・・」
波打ち際で呼ぶシンに、応えようかどうか逡巡して。
それでもアスランは、ゆっくりと、明るい砂浜へと足を進めていった。
俺の好きな場所へ、連れて行ってあげる。
そう言われた時にも、アスランはすぐに応えられなかった。
シンの好きな場所なんて、そんなの行きたいに決まっている。
それでも。
シンの思い出の場所は、きっと。
きっと、彼が失ったものに、繋がっている。
そう思って黙ったアスランを、シンは烈火のごとく怒って、それから、もの凄く情けない顔をして。
やっぱりアンタ、俺のこと好きじゃないんだ、なんて言い出して。
泣きそうになってしまったから、アスランは慌てて承諾した。
「すごく・・・綺麗な海だな」
遠浅の浜辺の向こうに、何かの残骸が落ちているのはこのご時世だから仕方がない。
もっと大量に落ちているあたりを優先的に処理しているから、この程度では、回収は後回しにされているのだろう。
しかし、そんなものが落ちているにしては、この浜辺は綺麗だった。
「向こうの島で遮られて、ユニウス７落ちた時にも、ここは被害が少なかったって」
シンの指さす、残骸の向こうの島も、今は、緑だ。
「ほらほら、魚」
シンが、おそるおそる海に足をつけたアスランの足下を指さす。
穏やかな海で、銀色に光る小魚の群れは、浜に打ち上げられることもなく、アスランの足に触れそうな位置を、つい、と泳いで、たちまち消えた。
「ちょっと潜れば、もっとキレイなのいますよ」
シンが、アスランの手を引いて、沖へ向かいながら言う。
「お前、このまま泳ぐ気か」
引かれるままに、アスランは呆れた声を出す。
「だいじょーぶですって。あ、それともアンタ泳げない？」
「服を着たまま泳ぐと危ないんじゃないかと言っているんだ」
穏やかな波はもう、ズボンの膝上までを濡らしている。
半ズボンのシンは、まだ、裾を濡らしただけなのに、少しだけ腹が立った。
「アンタのバカ力ならへーきですって。・・・・うわ！」
唐突に。
アスランにどんと突き飛ばされて、シンはそのまま海面へひっくり返った。
とっぷん、と、思ったよりも地味な音を立てて、一瞬水に沈んだシンは、すぐに派手に水を跳ねて立ち上がる。
「何するんですか！」
「いや・・・・」
小首を傾げたアスランは、びしょ濡れのシンを、ぼたぼたと水滴を落とす頭から、水面下の足下までをじっくりと見渡して。
「確かに、大丈夫そうだな」
そう、頷きながら言った。
「何が大丈夫だって！？」
ぺったりと額に張り付いた髪をぶるぶると払いながら、シンは敬語も忘れてがなりたてる。
「いや、水を吸ってもそんなに重くなさそうだな、と」
「俺で実験すんなよ！」
ぎゃんぎゃんとわめいたシンは、それでもすぐに立ち直り、また、アスランの手を取ってぐいぐいと沖へと引いていく。
本当に、このまま泳ぐ気か。
それはそれで何だか凄いなぁ、と思っている間に、遠いと思っていた、戦争遺物と思われる残骸の側まで来ていた。
ジンの下半分・・・かな。
海は思ったよりも浅く、まだ、アスランの腰ほどだったけれど、ここの少し先から、色が違って見えた。
白い砂の透けて見える場所から、唐突なオーシャングリーンへ。
きっと、深くなっているのだろう。
その、深いと思しきあたりに、残りの上半身と思われる塊が沈んでいる。
かろうじて海面に出ていた胸部装甲に緩い波が当たっては、細かくさざめくさまが、綺麗だった。
「この辺から深くなってますから、気をつけてください」
「ああ、海の色が違うな」
「うん」
シンはにこりと笑うと、アスランの手を離し、とぷんとその深みに潜っていった。
アスランは、少しためらってから、シンに倣って深い場所へと足を進めた。
着ていたのが、薄いシャツと麻生地のスラックスだけだったせいか、思ったほどには泳ぎにくくはない。
海は、深いといっても、ジンの厚み程度のものだ。せいぜい４、５メートルといったところだろう。
白い砂がなくなれば、そこは、もう珊瑚の海だった。
幾分、死んだ珊瑚の白い色が目立ったが、確かにこれは、被害の少なかった方だろう。
シンの目のような、赤く小さい魚がその陰から群れで現れて、灰色をしたジンの装甲の隙間に消えていく。
先を行くシンに目をやれば、手のひらほどの青い魚を指さして、それからアスランを指さして笑っていた。
こぽこぽと、シンの口から光を弾く泡が上がって。
パーカーをまとわりつかせた腕を大きくかいて、水面へと上がっていく。
アスランはまだ潜っていられたけれど、シンの後を追って、輝く水面へとあたたかな水を漕いだ。
「ね、キレイでしょう！」
ぷは、と、大きく息をしてからシンが言う。
アスランはこくりと頷いてから、泳ぎながらでは伝わらないことに思い至り、やはり、大きく息をしてから応えた。
「ああ」
「運が良いと、でっかいエイとか見られるんだけど・・・向こうとかどうかな」
「おい、あんまり遠くへ行くなよ」
「大丈夫ですって！」
また、とぷんと潜ったシンを見やり、アスランは少し考えてから、ジンの方へ泳いでいった。
静かな波をわずかに被る程度の、装甲の上へ登って座る。
そこにはもう、何か、小さな生き物がいくつも張り付いていて、驚いた。
ぱしゃん、と、近くで飛沫が上がる。
「アスランさん！」
シンの声が、聞こえる。
丁度、機体の向こう側から聞こえたそれに応えようと立ち上がると、大きく投げ出された右腕と、機体側面の間にできた大きなプールでシンが手を振り。
そのすぐ足下で、シンほどの大きさの生き物が、大きく弧を描くように泳いでいた。
「あんまりでかくないけど、いた！」
「それで、でかくないのか？」
「もっとでっかいのいたんですよ！昔は！！」
「昔って、それはお前が小さかったからじゃ・・・」
「小さいって言うな！」
「馬鹿、今の話じゃない」
言い合っているうちに、エイはジンの側面に沿って、断ち切られた機体部分の陰に消え。
そのあたりから、アスランがさっき見たものだろうか、赤い群れが代わりのように現れた。
ばしゃ、と、シンがアスランの近くに上がってくる。
そのまま浅い水を蹴って、機体伝いにエイの行方を追おうとしたらしいが、装甲の継ぎ目につまずいて派手に水音を立て、諦めて戻ってきた。
「ちぇ、どっか行っちゃった」
「・・・らしいな」
くつくつと、アスランが笑う。
濡れた髪が日の光を弾いて、とってもキレイだとシンは思った。
さっきの青い魚、アスランさんみたいでキレイだと思ったけれど。
やっぱり、こっちのがずっとキレイだ。
そのキレイな髪をつい、と払って、アスランが小首を傾げて聞いてきた。
「ところでシン、今、満ち潮か引き潮か知ってるか？」
「今ですか？めちゃめちゃ引き潮ですよ。そこ狙って来たんです。でも満ちてもたいしたことないから」
ちょっと戻れば足つきますから、心配いらないです。
そう答えたシンに、アスランは、さっきよりもっと綺麗に笑って見せた。
「・・・そうか、良かった」
アスランが、ジンの胸部を指さした。
シンは、そこをのぞき込んだ。
パイロットは脱出したのか、それとも遺体だけでも運び出されたのか、流されたのか。
ぽっかりと開いたコックピット。
そこに溜まった、透明な水の中。
薔薇色に輝く、小さな魚が何匹も。
人影にも驚かず、悠然とシートの上を行き来していた。
「このまま潮が引いたんじゃ、ここに取り残されるんじゃないかと思ったんだ」
これから満ちるんなら、安心だな。
そう言ったアスランの顔を、シンはじっと見つめた。
じっと、じっと見つめた。
それから。
「このジン、魚の住処用に、わざと放っておいてあるんだそうです。俺、片づけ切れないから言い訳してんだろって思ってたんですけど」
「ああ、だからバッテリーだけ抜いてあるんだな。あっちに立ってる方、腰のあたりおかしいだろ」
浅瀬に落ちている残骸を、アスランが指さす。
少しだけ、遠くを見る緑の目。
その目が。
日の光を受けて、細く細められるさまを。
シンはただ、じっと見て。
「満ちてくる前に、戻りますか」
そう、いつもの顔を取り戻して、聞いた。
「いいだろ、もう少し。深くなったら泳げばいいさ」
「アンタって人は・・・・」
呆れてつぶやくシンを背に、とぷん、と、アスランは海に飛び込んだ。
目の前には、色彩の光。
すぐに、シンもそこに潜り込んでくる。
ああ、綺麗だとアスランは思った。
それでも、世界は綺麗だと。
そう、思った。