閉じられた目蓋に、そっと触れる。

柔らかな皮膚の触感。

なのに、触れた指先がぴりりと痛むような気がして、花月はその手をひくりと震わせ、引いた。

「貴様が気にすることではないぞ」

「気に、するよ・・・」

横たわったまま、腰を抱いてくる十兵衛の好きにさせながら、花月は身を起こし、十兵衛の前髪を掻き上げた。

その目蓋が開いても、穏やかな色の瞳が光を映すことはない。

・・・・・花月の姿を映すことも、ない。

「十兵衛、やっぱりちゃんと病院に行こうよ」

今度は、唇でそこに触れて。

やはりぴりぴりと痛むのは、罪悪感のせいだろう。

「かまわん。不自由はしていない」

「嫌だよ・・・・」

君は、僕がその顔を見るたびに、どんな思いをしてるかわかってるのかい？

「それに、これは守ると誓った貴様を傷つけた天罰だ」

「やめてくれ！」

思わず、手が出た。

素手で人を殴ったのは、久しぶりだった。

指の関節がきしりと痛んで、それから少し熱くなる。

そこまでするとは思わなかったのだろう、目を閉じているようになってから、以前よりもさらに表情が乏しくなった十兵衛の顔に、はっきりと驚きの感情が読み取れた。

気味がいいと思ったのも束の間、殴った手を取られそうになって慌てて引く。

「花月、指を見せろ」

技を使う、指を傷めるな。

そう言う十兵衛の頬を、今度は平手で張った。

「馬鹿っ」

指が熱を持って、それが体の芯まで伝わって。

泣きたい。

「もういい、帰る！」

シャワーも浴びずにシャツとジーンズを手早く着けて、もともと立て付けの良くないドアを蹴破って飛び出す。

埃っぽさが増した空気を吸い込み、喘ぎ疲れた喉を傷めながら、早くここを出よう、と花月は思った。

部屋に帰って、シャワーを浴びて。

さっさと眠って忘れてしまおう。

機嫌の悪そうな『絃の花月』が、無限城の通路を駆けて行くのを、住人たちは息を潜めてやり過ごす。

外は雨が降っていたけれど、花月は気にせずに走って行った。

こういうときに限って、仕事がない。

花月は、雨の音を聞きながら、ベッドに寝転んだ。

空気が、湿気を含んで重い。

吸い込むと、冷たいものが胸に染み入った。

寂しい。

一度仕事に入ってしまえば、一週間や二週間会えないことはざらだったし、そもそもその前は二年も離れていたのに。

なんでわかってくれないんだろう。

会えなければ寂しいし、僕を見てもらえなければ悲しい。

君が不自由をしていれば辛いし、どうにかしたいって、思うのに。

「馬鹿・・・」

呟きは涙声で、なんで君のためにこんなに悲しくならなくちゃいけないんだと悔しくなる。

なんで、なんて。

わかりきっているのに。

「十兵衛・・・・」

会えなかった時間分、前よりももっと好きになった。

遠慮なく触れてくる指も、臆面のない睦言も、昔のままの十兵衛に、花月はまた、恋をした。

それなのに。

本気で泣きたくなってきたところで、かちゃりと鍵の回る音がした。

慣れ親しんだ気配。

この部屋の鍵を持っているのは、自分の他には。

十兵衛。

我が物顔で部屋に入ってきた男は、ベッドに寝転んだままの花月を、見えないくせに、見下ろした。

「・・・・何しに来たんだい」

冷たい声に、十兵衛は表情を変えない。

「貴様が、泣いているからだ」

「泣いてないよ」

まったく理由になっていない。

でもそれは、花月の理屈だ。

「そうか」

まるで野生の動物のように。十兵衛は人とは違う理屈で動く。

するり、と、グローブを外した手のひらが、花月の頬を包んだ。

涙の跡を探す仕草にも見えるが、おそらく十兵衛にそんなつもりはない。

なんでこんなのが好きなのかな。

本気で不思議に思いながら、花月も十兵衛の頬に手を伸ばした。

「十兵衛、僕は君に光を取り戻してもらいたい」

頬から目蓋へ。触れた指先の痛み。

「君は？僕の顔が見られなくていいの？」

こんな、情に訴えかける言い方は好きじゃない。

それでも縋らずにいられない自分が情けなくて、花月はとうとう涙をこぼした。

これは、悲しい涙じゃない。

悔しい涙だ。

それを、十兵衛の指がそっと拭い、彼の言ったとおりになってしまったと、花月は悔しくなって更に涙がこぼれる。

「この目のおかげで、俺はまだまだ強くなれる。だから治さない。それだけだ」

「でも・・・」

自分の涙声は、嫌いだ。

まるで、子供が我侭を言っているように聞こえるから。

「俺はもっと強くなりたい。お前を守るために」

「・・・・・」

花月の筧。

筧十兵衛。花月のために、家さえも捨てた男。

その時点で、花月はもう、十兵衛には敵わない。そんなことはわかっていたけれど。

「じゃあ、十兵衛」

でも、これくらいは言わせて欲しい。

「強くなったら・・・・治してくれるね」

「ああ」

意外なことに、返ったのはあっさりとした肯定だった。

「俺も、貴様の顔は見たいからな」

わずかに上がった口の端。確かな笑みに、安堵する。

頬を撫でる手に力がこもって、自然に花月は目を閉じた。

触れた唇が、甘く、ほどける。

「なら、許してあげるよ」

「感謝する」

再び交わされた口付けは、そのまま離れるには深すぎて。

そのまま花月は十兵衛の首に繊手を絡め、軽く引いて共に倒れこんだ。

もとより十兵衛もそのつもり。涙の跡の引いた頬に口付けながら、シャツの下から手のひらを差し込み胸の突起を探り当てる。

「ん・・・・ぁ」

甘い喘ぎ。

シーツにこぼれて。

熱くなっていく肌を止められない。

「早く・・・欲しいな、十兵衛」

「待っていろ」

するすると、少し強い手のひらが敏感な肌を刺激していく。

焦れた花月が十兵衛の肩を叩くと、軽く笑ってジーンズを引きずりおろし、昂ぶりかけた花月自身を包む。

「あんっ・・・」

すぐにとろとろと蜜をこぼし始めたそれに、舌までを使われて、花月は身を震わせて達した。

「意地が、悪いよ・・・」

「そうか？」

まったく悪いとは思っていない声色でそう言うと、十兵衛は花月の体液で濡れた指を、欲しくてたまらないという風情でひくつく蕾に押し込んだ。

「んんぅ・・・」

恋人の指を良く知るそこは、もっととばかりに絡みつく。

自分の体のいやらしさに、さすがに恥ずかしくなって身悶えると、十兵衛はその動きを封じて更に指を増やし、攻め立てた。

「あ、あっ、ああん・・・ダメ、十兵衛、き、てよ・・・・」

指だけでイかされそうな刺激に、花月は高く声を上げて強請った。

まるで、娼婦のように。

「まだ、だ」

「もう、ばか・・・・」

更に淫らな刺激を与えようとする十兵衛の手を振り払い、花月は身をよじって指から逃れた。

押し開くものを失ったそこが、物欲しげに蠢いている。

しかし、花月はもっと大きなものが欲しい。

指では、足りない。

「君だけ着てるのも、気に入らないな」

十兵衛のベルトを細い指で外し、ファスナーを下ろし。

するり、と十兵衛の指が髪に絡むのを感じながら、下着をずらして、現れたものに唇を寄せた。

「ん・・・ふ」

まだ、なんて嘘じゃないか。

すっかり立ち上がったそれは、花月の口には大きすぎて。

それでも先走りの苦味を味わいながら、動物のように舌を使う。

十兵衛が、もういいと言ってくれるまで。

「・・・花月」

「いい？」

「ああ」

いっそう熟れた唇に、包み込むようなキス。

ああ、十兵衛だと、安心するようなキス。

たっぷりと舌を吸われながら、背に髪を敷くように押し倒されて。

脚を、掴まれ、広げられて。

いちばん恥ずかしい場所に、十兵衛の熱い雄が、侵入って、くる。

「んんっ・・・・」

あまりの熱さに上げた悲鳴は、すべて十兵衛に飲み込まれた。

いつもより、締め付けてしまっているのがわかる。

抱き込まれ、逃げることもできない腰に、深いストローク。

たまらなかった。

「んっ、んっ、んんっ、・・・あぁん・・・・・」

唇を離されると、喉をつく喘ぎがそのまま嬌声となってこぼれ出た。

「いっ、あ、あ、やぁ・・・ん」

狂うほどに感じる内壁。

このまま突き殺されてしまいそうな衝撃。

十兵衛の情熱に、意識が白くなりかける。

「かづき」

それを、名前ひとつで繋ぎ止められ。

「じゅう、べぇ・・・ぇ」

呼び返して、感じて。

もう限界なはずなのに、もっともっとと欲しがる花月に、十兵衛は与えられるだけの快楽を与えてやった。

それが、花月の悲しみへの代償。

十兵衛の、我侭。

快楽に疲れた体に、夜の闇だけをまとって。

花月は手を伸ばして、自分を覗き込む十兵衛の目蓋に触れた。

ぴりぴりと痛む指先。

それは、変わらないけれど。

「ねえ、十兵衛。期限をつけよう」

指を髪に滑らせ、強く引き寄せて。

「僕が望みを果たすまで、だ。そうしたら治すんだ」

唇が、触れそうな位置で。

「それ以上は許さないよ」

「・・・わかった」

共に味わう口付けは、どんな罪よりも、甘かった。

---