誓い
いつも帰っている家のドアを開けるのに、今日はちょっとドキドキした。
たまに仕事で帰ってこないことあるけど、でもだいたい毎日会ってる同棲中の恋人の顔を見るのも、今日はすっごくドキドキした。
だって。
だってさ。
シンの鞄の中には、初めて入ったお店で２時間も粘って買った、恋人へのすっごいプレゼントが入ってるんだから。
「おかえり。遅かったな」
ダイニングキッチンのドアを開けると、鍋にお玉を突っ込んだ恋人に迎えられた。
醤油と肉のいい匂い。
エプロン姿の恋人。
シンが幸せを噛みしめていると。
「何やってたんだ。おかげで俺が夕食を作る羽目になったじゃないか」
余計な一言を付け加えられて、つい、いつものように言い返した。
「だって、先に帰った方が作るようにしょうって言ったの、アンタじゃないですか」
それは、なんだかんだで二人で暮らすようになったとき、いくつか決めたルールのうち、まだ生きている数少ないもののひとつだった。
アスランの方が仕事が多くて（ていうか勝手に増やしていて）、遅いことが多いはずだったのだが。
「お前いつも遊び歩いて帰って来るだろ」
「アンタが残業多過ぎんだろ」
帰って一人は嫌なので、アスランが帰りそうな頃合いまでは、シンだって帰りたくないのだ。
しかし、アスランは容赦がない。
そんなシンの心情を酌んでくれるほどの、心遣いのできる人じゃない。
「俺は仕事だぞ」
そう、偉そうに言うものだから、シンはお約束のようにキレた。
「・・・アンタって人はー！」
しかしアスランはシンが勝手に騒ぐのはいつものことだと、どんぶりにごはんをよそって、その上に鍋の中身をぶちまけた。
「騒いでないで食えよ」
どん、とテーブルに置かれたどんぶりの、醤油と肉の匂いの元は、牛丼の具だった。
食べなくたって、シンは知ってる。
味は、大手外食チェーンのものを忠実に再現している。
美味しいんだけど、とっても美味しいんだけど、これなら外で食べたって同じじゃん！
そう言おうとして、口を開いて。
その口を、シンはがんばって。
もの凄くがんばって、閉じた。
ケンカしたいんじゃないんだ。
今日はケンカしたくないんだ。
いや、いつだってケンカなんかしたくないのに。
したくないのにこの人がー！
むう、と口を閉じて、じったじったしているシンの前に、浅漬けの皿と豚汁のお椀を置いて。
ここまで牛丼屋メニューじゃなくてもいいじゃん！と、言いたくってガマンするシンが、もっとじたじたになるのを意にも介さず、アスランは自分の前にも同じものを置いて、すとんと座ってもう一度言った。
「騒いでないで、食えよ」
醤油と肉のいい匂いに、ごはんとダシの凄くいい匂いが合わさって、シンのお腹がくうと鳴った。
「・・・・ハイ」
言って、たすき掛けにしていたカバンに手をかけて。
その中身を思って、固まった。
テーブルの上には、牛丼と浅漬けと豚汁。
目の前には、ちょっとむっとしてる恋人。
このシチュエーションで、この中身を出すのはどうだろう。
しかもご飯と豚汁冷めるし！
でも！！
シンは、思い切ってがばりとカバンを下ろし、その中から、中身に対してどう考えても大きすぎる、手のひらに余る大きさの、赤い紙袋を取り出した。
そうして。
アスランの胸に、ぽすんとそれを押しつけた。
「これ」
「ん？」
反射でそれを受け取った、アスランのちょっと骨ばった長い指。
「開けて」
「夕食の後にしろよ」
真顔で正論。
シンの、どうしようもない恋人。
「ああもう！」
シンは、押しつけた紙袋を取り上げて、その口を止めたシールを剥がそうとした。
そうして失敗して、ばりばりと袋を破り開け。
中から現れた、これも赤い小さな箱を開け、その中に収まっていた、銀色の小さな輪を引っ張りだした。
紙袋も箱も、とりあえずテーブルに放り出す。
破られた紙の端が、シンの豚汁のお腕に飛び込んだけれど気にしない。
「アスランさん、手」
「て？」
「手！」
いったん受け取った袋を取り上げられて、宙に浮いていた右手を取って、間違いに気づいて左手を取り直して。
その中指に、ぎゅう、と小さな銀のリングを押し込んだ。
「・・・・・」
「・・・・・・・」
お互い、無言でその指を見る。
アスランが寝ているときに、何度も測った甲斐があって、サイズは見事にぴったりだった。
男同士だし、アスランさんはアスランさんだし。
だから、こういったものを、シンは今まで贈ったことがなかったし、それはアスランも同じだったけれど。
シンは、いつかこうしたいと思っていた。
いつもなんだかふらふらと何処へ行ってしまうかわからないようなアスランが、どう思うかわからない。
でも、シンは。
こうやって、ちゃんと。
ちゃんと、したいと思っていた。
「・・・・・・」
無言のアスランをじっと見る。
何か言ってよ、アスランさん。
シンが、叫び出したくなった頃合いだった。
「ムードもへったくれもないな」
アスランが、そう、ぽつりと言った。
シンの手から、指輪のはまった指を取り返して、目の前に持ってきてまじまじと見た。
「アンタが言うな」
言い返した声は、安心した声だったから、いつもの鋭さはなかった。
良かった。
アスランさん、受け取ってくれた。
シンはちょっと泣きたくなった。
そりゃあ、たぶん受け取ってくれるとは思っていたけれど、だってだって、相手は余計なこと考えることにかけては宇宙一の、アスラン・ザラなのだ。
シンには想像もつかないワケわかんない理由で、拒まれることだってありえたんだから。
シンは、恋人の指にはまった、選び抜いた挙げ句にシンプルなものに落ち着いた、銀色のリングを一緒に見た。
アスランの、ちょっと骨ばった長い指。
それにはまった、シンの想いの証。
「結婚式とかできないけど、こういうの、あったらいいなって思ったんです」
何もかもをなくしたシンは、いつだって不安なのだ。
アスランは、いつ何処へ行ってしまうかわからない質をしてるから、不安なのだ。
「永遠の愛でも誓うのか？」
案の定、どこか揶揄するような。
それでいて、わざと軽く聞こえるように浮かせたのが見え見えな声で、アスランが言った。
「誓います」
シンは真顔でそう言った。
「あなたに、永遠の愛を誓います」
アスランは、ぱくんと口を閉じた。
閉じて、おろおろと視線をさまよわせた。
ああもうこの人は。
そう思いながら、シンは聞いた。
怖さと、期待と。
それから諸々のことがない交ぜになった声で、聞いた。
「アンタは？」
「・・・・」
案の定黙ったアスランに、何か言ってやろうと口を開いたところで、答えがあった。
「誓うよ」
おろおろしていた視線は、しっかりとシンを捕らえていた。
シンの大好きな緑の瞳。
ちゃんとこっちを見たそれは、とってもとってもきれいで、やっぱり、とっても大好きだった。
「アスランさんっ！」
感極まって抱きついて、腕の中いっぱいにその人を感じて。
それから何度もキスをして、そのまんま盛り上がろうとして。
「冷めるぞ」
そう、テーブルの上を指さした、指輪をはめた手に止められた。
「あ、はい」
シンはしぶしぶ、大好きなあったかい体から腕を離した。
ムードもへったくれもないなぁと、先ほどのアスランと同じことを思いながら、それでもお腹は減っていたので、大人しくテーブルについた。
アスランさんの作ってくれたご飯は、まだ、ちゃんとあったかかった。
「美味しいです」
さっき散々酷評していた牛丼は、食べてみればやっぱり美味しくて、シンはあっという間に食べ尽くした挙げ句にお代わりをした。
シンは２杯目、アスランはまだ１杯目のどんぶりをかき込みながら、ふと、アスランが言った。
「お前の分は？」
「え？俺の？」
食べてるよ？と、素ボケしたシンを、そうじゃなくて、といつもと逆にアスランが突っ込んで。
「こういうものは、お揃いでつけるものなんじゃないのか？」
どんぶりを置いた左手を上げて、もらったばかりの指輪を見せながらアスランが言った。
「そうなの？」
シンはへこんと首を傾げた。
そういえば、セットじゃなくて単品なのかと、まずお店の人に聞かれたような・・・
「しょうがないな、お前は」
言いながら、その手でまたどんぶりを取って、最後のごはんを口の中に放り込んで。
かたんと立って、皿を片づけながら、アスランはほんの少し微笑んでシンを見下ろした。
「今度、この店に連れ行け。お前の分を買ってやるから」
「い、いいですよ。自分で買います」
シンは慌てた。
だって、アスランさんに指輪あげることしか考えていなくって、だって、だって自分のなんて・・・
「プレゼントさせろ」
背中を向けてそう言ったアスランは、シンには見え見えな感じでテレていた。
うわぁ、アスランさん、可愛い。
シンの鼓動はどきどき跳ねた。
「今度の休みで、いいか？」
「はいっ！」
やった。
今度の休みは、デートだ！
うっかり牛丼屋やハンバーガーショップに入ってしまわないように、お昼のお店をちゃんと決めて行こうとシンは思った。
指に光る銀色を眺めるアスランは、シンの願望じゃなくて。
とても、とても嬉しそうだった。