手をつないで
波の音に紛れて、名前を､呼ばれた気がした。
すぐ側に人の気配。
ひどく、馴染んだ・・・
「―――？」
寝惚けた声はひどくかすれていて､自分で何を言っているのかわからない。
「ごめん、起こしたね・・・」
震える声は、ベッドのすぐ足もとから聞こえる。
少しまだぼんやりとした視界に､床に座り込んだキラの、茶色い毛先が入った。
「・・・入るか？」
毛布を上げて差し招くと、冷えた体が躊躇いがちに滑り込んでくる。
「いつから居たんだ」
赤道に近いとはいえ、寒流の指先が届くこの島は、夜になれば幾分か冷える。
強ばったままの背を抱いて、軽くあやすように撫でてやると、キラはやっと、深く息をついた。
「うん・・・・」
はっきりとは答えないまま、アスランの袖をつかんで、キラはただ、じっとしている。
昔、よくキラの家に泊まっていたとき、彼はよくこうしてアスランのベッドにもぐり込んで来たけれど。
アスランも、困ったヤツだと言いつつも、いつも迎え入れてやっていたのだけれど。
幾年かの時を経て、いくつもの戦いを経て。
その後、こうして寄り添ったのは初めてだった。
キラの体がようやく温もり、アスランは少し身を離して、伏せられていた瞳を覗き込んだ。
今、夜色に沈んでいる瞳が、本当は暁の空のような、きれいな色をしていることを、アスランは知っている。
「キラ」
名前だけを呼んで、袖にかかっていた指を取る。
温もり切っていないその先を、包み込むように、握る。
キラもそれを、冷たい指で握り返して。
そのまま、言葉なくそうしていた。
波の音だけが、聞こえる。
昔、まだ何も知らなかった頃、こうしてよく手をつないで眠った。
まだ子供だった、柔らかな手のひら、引き金を引いたことのない指で。
「アスラン」
不意に、キラが手に力を込めた。
アスランの指が軋んで、喉の奥から勝手に声が漏れる。
「大丈夫だ、キラ」
「でも、僕はこの手で・・・」
この指は、引き金を引いてしまった指。
人を殺してしまった手のひら。
大切な友達を。
アスランを、この世から消し去ろうとした手のひら。
その思いは、アスランにも痛いほどよくわかる。
「俺も、同じだから」
お前だけじゃないから。
アスランも、きつくキラの手をつかまえて。
引き金を引いてしまったことは消せないけれど。染み付いた血と怨嗟は、きっと生涯俺たちを離さないだろうけれど。
それでも。
「償うことは、できるはずだ・・・たとえ、許してもらえなくても」
自分で自分が許せなくても。
失った悲しみを、やがて湧き上がる憎しみを、怒りを、アスランもよく知っている。
憎まないでほしいと､その気持ちの裏返しかもしれないけれど。
それでももう、この手を憎むことなどできないのは、確かだから。
震える指先を両手に包み、アスランはゆっくりと、吐息のような声で言った。
「この手は､コロニーを・・・たくさんの人を、助けてくれたじゃないか」
虚空に爆散する核ミサイル。
ひとつでも打ち落とし損ねれば､たくさんの人の命が失われていたはずだ。
アスランは、失った母親を思う。
自然に､涙がこぼれた。
「アスラン・・・？」
キラの声が揺れて､大きな瞳が気遣わしげに覗き込んできた。触れ合った前髪が涙を吸って､ほたりとキラの頬に落ちる。
こんなんじゃだめだ。
俺が､動揺させてどうする。
「ありがとう、キラ」
柔らかな髪に頬を埋める。少し甘いシャンプーの香り。お前､ラクスの使ってるだろ。
おかげで少し､落ち着いた。
「助けてくれて、ありがとう。・・・お前を憎んでるやつの分も、お前を知らないやつの分も､俺が､礼を言うよ」
お前がその手で守ったものを､俺はきちんと覚えているよ。
それじゃ、だめか？
「それは、アスランだって・・・ジェネシスを落としたのは、アスランだし・・・・」
それは、父の。
言いかけて、やめて。
「お前も俺も､するべきことをしただけ、か」
ちいさく笑って。
「なら・・・これからも、するべきことをするしかないだろ」
今の自分たちには､それが何かはまだわかっていないけれど。
「うん・・・アスラン」
「なんだ？」
「手､つないでいい？」
「もう、つないでるじゃないか」
引き金を、引いてしまった指同士。
人殺しの指を、互いにしっかりと絡めて。
もう一度ちゃんと、手をつないで。
「うん・・・・そうだね」
指先まで温まって、キラは眠くなってきた。
アスランは、もう半分眠っているみたいだった。
もう二度と、こんなふうに眠ることなんて、ないと思っていたけれど。
手をつないで、眠る。
まるで、ずっとそうしていたかのように。