空のてのひら
「あんたの部屋って、ほんと殺風景ですよね」
勝手に遊びに来て勝手にベッドに上がり込んだシンは、勝手なことを言ってアスランの部屋を見回した。
「そうか？ああ、ひとり部屋だから広く見えるんだろう」
呆れるのにも飽きたという風情で、アスランは端末の電源を落し、その横にとさりと腰を下ろす。
そう、面積はほぼ同じで、家具は半分。この方が広いに決まっている。
「そうじゃなくて。何にもないじゃないですか」
癇癪を起こしかけたシンの声に、しかしアスランはのんびりと今まで自分が座っていたデスクを指差した。
「デスクもベッドも作り付けだぞ？」
「だから、そうじゃなくって」
本当にテンポ合わないなと思うにつけ、シンはなんでこんな人が好きなのかと不思議になる。
「私物とか、何にもない」
この部屋には、生活感がまったくない。
「いや、だって、ないからな」
「なんで」
「ほとんど何も持たずにザフトに戻って来たから。ああ、でも私服くらいはあるぞ」
着てきたやつが。と、簡単に言う。
物欲に乏しい上、身の回りのことにもかまわない人だから、それでいいのかも知れないけれど。
何か、寂しいとシンは思った。
シンも、同室のレイも、やはり私物は少ないけれど、それでも大切にしているものや、身の回りの物くらい置いてある。
それなのに、この人の部屋はなんにもなくて。
なんだか。
今日、この人がいなくなっても、何にも残らないような、気がして。
そこまで考えて、かなしくなった。
自分もこの人も、パイロットで。
いつ、いなくなるかわからない。
そんなこと、あたり前なのに。
「・・・・シン？」
軽く首を傾げて、シンの顔を覗き込む。
その人の、綺麗な翠の瞳。
どこまでも透明で、底に、何も見えない。
「何か、大切なものとか、ないんですか？」
ないと、シンが、かなしい。
しかしアスランは、真剣な少年をはぐらかすように、小さく笑った。
「俺たちは・・・みんな大切なものを守るために、戦ってるんじゃないのか？」
そんな一般論を聞きたいわけじゃない。
「そうじゃなくて。ずっと持っていたいものとか。これだけは手放せないってものとか」
シンは、ポケットの上から、マユの携帯をぎゅっと握り締めた。
これだけじゃない。
部屋に大事に飾ってある、あの小瓶に入れた桜貝だってそうだ。
力になる何か。支えになる、何か。
「・・・それなら、あるよ。お前は怒るかもしれないが」
アスランはそう言うと、軍服の襟をくつろげて、使い込んだ感のある革紐を引きずり出した。
その先に、下げられた石は。
「これ、ハウメアの・・・」
「ああ」
それはオーブで主に産される、準貴石だ。
そう高価なものではないが、古くからオーブに住む者は、これをよくお守りにする。
強い、守りの力があるのだと、そう言われている。
「カガリにもらったものだ。随分、これに守ってもらった」
アスランの言葉に、シンの視線がきつくなる。
「そんなものが、守ってくれるわけ、ない」
それに苦笑して。
「気持ち次第だろ。少なくとも、俺はこれがあったおかげで、まだ、生きているから。・・・死ねないと、思うから」
その石を、いとおしそうに眺めるアスランの、優しい目。
それが、ムカついて。
「他に、は、ないんですか。何か」
自分でも大人気ないと思う。それでも、尖った声になるのは仕方がない。
「何かと言われても・・・大事だと思っていたものは、みんな前の戦争でなくしたからな・・・・」
たくさんあった、思い出の写真、あれも全部、処分されているだろう。
遠くを見たアスランを睨み、シンはポケットの中の携帯を、きつくきつく握り締めた。
「あるでしょう、何か、あんたの戦う理由になるものとか」
シンの戦う理由は、守ることだ。
もう二度と、大切な何かを失わないことだ。
シンの握力に負けて、携帯のジョイントがきしりと音を立てる。
「うん。でも」
アスランはつい、と手を上げて、自分の胸に置いた。
大きな手だな、と、シンは思った。
「そういうものは、ここにあれば、十分だろう？」
胸の上に置かれた、大きな手のひら。
そこに。
その胸に。
「俺が、戦う理由は、俺の中にある」
そう言って苦く笑った、綺麗な翠の目に映ったものが、何なのか。
シンは知らない。
わからない。
ただ、その笑顔が、かなしいと思った。
そうやって、戦って戦って戦って。
今、この人の手には、こんな小石ひとつしかない。
それでも、透明な瞳で笑っていられるこの人が、無性にかなしかった。
そうして。
何にもない部屋から。
何にも残さずに。
この人は、いなくなってしまうつもりなんだろうか。
その小石だけを持って。
シンは、胸の上に置かれたアスランの手を捕まえた。
思ったよりも、大きな手だった。
思ったよりも、細い指だった。
それを、握って。
「シン？」
この手に、何かを残したいと思った。
何か、とても良いものを。
この人が喜ぶようなものを。
なのに、シンにはそんなもの全く思いつかなくて。
この手に、何か、あげたいのに。
何か。
ぎゅっと。
つかまえられた手のひら。
その上に、熱い雫が落ちた。
彼の手は、あたたかかった。
ああ、これも守らないとなと、アスランは思う。
彼が、何故今泣いているのか、アスランには正直わからないのだけれど。
それでも、彼はいつも。
いつも、辛そうだから。
「泣くなよ、シン」
何とか彼を慰めたくて、取られていない方の手で、丸められた背中をそっと撫でる。
「泣いて、なんか・・・」
「なら、泣くな」
ひくひくと、嗚咽に震える、細い背中。
俺の手は、こんなに小さくて。たったひとりの少年を慰めることも、できないけれど。
それでも、今、手の中にある、このあたたかいものを守りたいと。
アスランは、そう思う。
そう、いつか。
この手も千切れて。
消えてなくなる、そのときまで。