空
空が広くて、シンの口が勝手に開いた。
プラントには、生きていくのに必要なものはだいたいなんでもあって、でも、この広い空だけは、どこにもなかったから。
口を開けて空を見上げるシンに、アスランは心配そうに声をかけた。
「どうしたんだ？シン」
「えっと、ああうん」
シンはやっと口を閉じて、アスランに背中を押されるままに、オノゴロ宙港のエントランスを出た。
とたんに降り注ぐ、赤道直下の日差し。
何もかもを塗りつぶすような光の奔流に、目が痛くなって。
それでも、シンは空を見上げるのをやめない。
「空が、広いなぁって、思ってさ」
その言葉に、こくんと頷いて。
「ああ、俺も最初はびっくりした」
アスランも、空を振り仰いだ。
亜熱帯にあるオーブは、天気の変化がめまぐるしい。
激しいスコールが去ったと思うと、たちまちこんな青空になる。
「海を見て、２回びっくりだったな」
ここからは見えない海を思って、アスランは思わず苦笑いした。
海には、妙な思い出が多い。
夕方、キラたちと待ち合わせをしているのも、海辺の公園だ。
あそこは、シンの家族が亡くなった場所らしいから、不用意なことを言わないように気をつけないと。
そう思いながらも、アスランは空気を読まないことを言う。
「でも、お前はどっちも子供の頃から見てたんだろ？」
何で今更びっくりなんだ、と。
聞くと、シンは珍しく言いよどんだ。
「えっと、なんていうか、こう」
こうやって、はっきりものを言わずに、仕舞にはシンを怒らせるのはアスランの十八番だったので、アスランはなんとなく、嬉しいような気分になったのだけれど。
「本当に、あったんだなって」
しかしシンは、すぐにそう言って、空を見上げた。
「本当に、空、青いんだなって」
この空が。
本当に存在したのだという事実に、シンは今、びっくりしていた。
両親と一緒に見上げた空。
マユと一緒に、見上げた、空。
あの時の空も、確か、こんな色をしていた。
「プラントに上がった後も、何回か地球には降りてるんだろ？」
アスランは、シンの感傷に頓着せず、荷物を抱えなおしながら先を行く。
その背中を追いながら、シンは答えた。
「一回ですよ。戦争中」
「ああ、そうなのか」
しかし、アスランは釈然としない顔をしていたから。
「あん時は、空なんか見なかったから・・・」
そう、とっさに返した言葉に、自分自身で納得する。
ああ、本当に。
あのときの俺、どうしちゃってたんだろう。
「ああ、そうだな」
さすがのアスランも、それには神妙に頷いて。
一緒になって、空を見上げた。
「俺も降りたのは戦争中だったけど・・・凄く、びっくりしたな」
余裕があった訳ではない。
ただただ、戦うことに必死になっていた時に、降りた地球だったけれど。
「俺は初めて見たから。やっぱり、凄くびっくりしたんだ」
プラント生まれの月面育ちだったアスランは、１６まで本当の空を知らずにいた。
「この上に、あの宇宙が広がってるなんて信じられないよな」
宇宙の広さは知っていても、空の広さは知らなかった。
こんな青は。
知らなかった。
「こんなものの下で育ったんだな、お前は」
「・・・・はい」
空の端に、大きな雲が沸き上がってきた。
でも、あれはスコールが来る雲じゃないな、と、オーブ育ちのシンも、オーブで２年を過ごしたアスランも思う。
空の青と、雲の白のコントラストが美しくて、雄大で。
アスランは、思わず口を開いた。
「なんか、凄いな」
「何が？」
「お前が」
「は？」
説明能力のないアスランと、コミュニケーション不全が起こるのはいつものことだ。
だからシンは、もう一度聞いた。
「俺の、何が？」
「いや、だから」
自分の説明が足りないと、自覚のないアスランは、しかし聞かれれば答える質だったので。
長い指を、空へと向けて、答えた。
「こんな空の下で育ったお前って、凄いなと」
「凄いですか？」
なんだか意味がわからないけれど。
「ああ、凄い」
アスランがそう言うと、なんだかそんな気がしてきて。
シンは嬉しくなった。
そうして、また、見上げた空は。
本当に、あの頃、家族と一緒に見た空で。
ああ。
今、やっと。
帰って来たんだと。
そう思うと。
シンの赤い瞳から、ほろりと涙がこぼれ落ちた。
透明な水越しに見上げた空は、ゆらゆらと揺れて。
それでも、とても、美しかった。