Shine
部屋のドアを開けると、デスクの紙束の上に突っ伏していたアスランに、カガリは一瞬息を飲んだ。
それから、その背中が緩く上下していることに気付き、ほっと息をつく。
レクイエムとメサイアをめぐる戦闘が終わった後、地球へ降りるアークエンジェルと共に、再びオーブへと戻ったアスランは、あれから地下ドックに籠もったままだった。
アークエンジェルやジャスティス、フリーダムの修理。ムラサメ、アストレイの復興作業用への改造。また、新たに開発することになった、安価な作業用機体の設計。
そこですることがたくさんある、という理由があるにせよ、今の彼の状態が、良くないものであるということは、カガリだけでなく、皆が知っている。
それでも、あれからひと月と経たないうちに、整備員や技術者の間で、「困った時の地下の坊主」と言われるようになった彼を、そこから引きずり出すことも出来ず。
「ん・・・カガリ？」
立ちつくすカガリの気配のせいか、ふ、と目を覚ましたアスランは、翠の日と身を揺らめかせて、身を起こした。
「起こして、すまない」
「いや・・・一時間で起きるつもりだったんだが。少し寝すぎたくらいだ。ありがとう」
そう言ったアスランの頬は、抜けるように白い。
もう随分、地下の作業灯の下で生活しているのだから、当然なのだけれど。
「お前、寝るなら部屋で寝ろよ」
「ちゃんと寝るときは戻ってるよ」
「嘘つけ。お前、そういうとこだけ、するっと嘘つくよな」
カガリは手を伸ばして、彼のクセのついた前髪を直してやる。
「素直に祝ってやる気、なくなるぞ・・・誕生日、オメデトウ。部屋にプレゼント置いてきたから、見に行って、ついでに寝ろ」
長く、使われた形跡のないベッドの上に置いてきた、私服と靴のプレゼントを思う。
あれは、使われることがあるのだろうか。
「ありがとう・・・みんな、よく覚えてくれているんだな。なんだか、申し訳ない」
「そう思うなら、ちゃんと使え。これ、キラか？」
デスクの端に置かれていたのは、マイクロユニット製作キットだった。
「ああ」
床には、真新しい固形食糧の箱が置いてある。これも、誰かからのプレゼントだろう。
確かに、彼のデスクの引き出しに入っている、カロリー剤やサプリメントに比べれば、まだ固形食糧の方がマシだ。
指先に触れた、眠っていたにしては熱のない額。
戦争中、大怪我をしていた時よりも、もっと影が薄くて。
「たまには一休みしろって言われたよ。この仕事だって、趣味とそう変わらないのにな」
「変わるだろ。それに、結局パーティー断ったんだって？」
「今は、それどころじゃない・・・。お前も、こんなところにいる時間あるなら休めよ」
「私は休みに来たんだ」
「そうか」
そう言うと、アスランは「ぬるいけど」と、カガリにミネラルウォーターのボトルを渡し、自分も同じものを取った。
「それどころじゃないから、みんな、何かにかこつけて騒ぎたいんじゃないか」
「ごめん」
笑って、ボトルを空ける、指の細さ。
ゆっくりと水を飲み込む、喉の痩せ方。
ずっと、自分を削るように生きてきた彼だけれど、それでも最近は、とみに酷い。
「お前、たまには外に出ないと駄目だぞ」
「これが終わったら、そうするよ」
ミネラルウォーターは本当にぬるくて、服じゃなくて、冷蔵庫でも買ってやれば良かったと、カガリは思う。
「だから、するっと嘘つくなって」
生きながら、自らを埋葬してしまったかのようなアスランに、カガリが出来ることは、それくらいで。
それを、悔しく思いながら。
カガリは、もうひとつのプレゼントを、アスランに渡す。
「なんだ？これ」
それは、一枚の紙切れ。
幾人かの手を経たものなのか、幾分か、よれた。
「言っておくが、私は確認していない。ただ、今日着いたプラントからの帰還民の中に、お前に面会を求める者がいるそうなんだ。そいつの資料」
それは、オーブ国籍を証明するＩＤや、旧住所地などが書かれた、帰還申請の書類だった。
そうして、その署名は。
『シン・アスカ』
アスランは、大きく目を見開いて、その書類をじっと見つめた。
「帰ってきたんだな、あいつ」
「・・・・っ！」
椅子を蹴って立ち上がったアスランは、開き切らないドアに激突しながら、部屋を駆け出していく。
「まだ、宙港にいるってさ！」
その後姿に、叫んでやってから。
カガリは、ふ、と、天井を見上げた。
地下１２０メートル。
この墓は。もう、使わなくて済むだろうか。
地下格納庫よりも上に出たのは、地球に下りてから、初めてだった。
エレベーターが開くと、目の前が真っ白になる。
強い日の光。それに、目が慣れずに、ひどく痛む。
宙港と軍のドックは隣接していて、アスランの足ならばそうはかからない。
それでも。
ずっと、地下で暮らしていたアスランには、地上の光は強すぎて。
頭痛と吐き気。それを無視しているうちに、めまいが加わって。
足が、もつれて。
派手に転んだ軍服姿の男を、周囲の人々が、奇異の目で見る。
そのとき。
「何やってんですか、あんた！」
痛む頭を、殴りつけるような、大きな声が、聞こえた。
アスファルトに付いた、膝に感じる人の足音。
側に座り込む、人の気配。
閉じた瞼越しに、少しだけ、陰になったことがわかる。
「大丈夫ですか！アスラン！」
鋭いくせに、少し甘い。少年の、声。
そう、この声は、確かに、シンの。
「シ、ン・・・・」
目を開けようとするけれど、痛みきったそれは、陰になっていても開くことができない。
「え、あ、あんた、目・・・・・」
少年の心配そうな声に、アスランは慌てて首を振った。
「い、や。急に、明るいところに来たから、痛くて。それで」
「モグラですかあんたは。立てます？」
シンに腕を引かれ、頷いたアスランは、しかし何故か足に力が入らずに。
「あーもう、面倒だなっ」
それに焦れたシンは、彼に肩を貸そうとして、驚いた。
「うわ、なんでこんな軽いんですか！？」
「軽くは、ないだろう」
「軽いですよ！えーと、あ、宙港に医務室ってありますよね」
転んだ弾みで、めくり上がったアスファルトに突っ込んだアスランは、かなり酷いことになっていた。
オーブの軍服は白いから、すりむいたらしい膝や、切った手のひらからこぼれた血が、派手のその存在を主張する。
「いや、大丈夫だから」
「ダメですよ！」
強い声を、思わず見上げる。
目を、開く。
視界は、白と黒のコントラスト。
痛いほど白い背景に、黒い影が被さって。
無彩色の世界の中、ただふたつの、赤い色。
シンの、瞳。
それを認識したとたん。
世界が、開けた。
「シン、だ・・・・」
青い空、白い雲。
いっぱいに降り注ぐ日の光。
それをバックに、覗き込んでくる赤い瞳の少年。
「・・・・はい」
確かに、自分を見ている翠の瞳に、シンはわずかに涙ぐむ。
どんな顔をして、会ったらいいのかわからなかった。
はじめに、何て言ったらいいのかわからなかった。
それでも、オーブに帰ると決めたから。
アスランに会うと決めたから。
そう、ある意味悲壮な覚悟で会いに来たのに。
なのにこの人、いきなり転んで。
いろいろ考えていた自分が、馬鹿みたいだ。
「馬鹿みたいだな、俺」
シンの考えを読んだように、アスランが口を開いた。
思わずびくついたシンに、彼は気付かず。
「ずっと、お前のことが気になっていた。何故俺は、あんなふうにしかできなかったんだろうと。何故、お前にちゃんと、言葉を伝えられなかったんだろうと」
彼は、アスランの中で。引っかかって、掻きむしって、時が経つほどに膿んだ傷。
彼のことを思うと、もう、それ以外のことが考えられなくなる自分が怖くて、無理やり仕事に没頭した。
でも。
「簡単なことだ、会いに行って、話せば、良かったんだな・・・・」
ふわ、と笑ったその人の、白い頬、細い頸。
シンは、思わずどぎまぎしてしまう。
「だって、あんた脱走してたし。来られない、わけだし」
「お前だって似たようなものだろ」
「いーんです。この国、そういうとこいい加減なの知ってますから」
正直言えば、ザフトにいたシンの帰還申請が、こうすんなりと受理されるとは思わなかった。
それでも、やっぱりこの国はいい加減で。
「てか、あんただってこの国の軍と戦ったでしょうが！なんでその軍服着れるんですか！」
「この国は、そういうところが寛大だからな」
返す言葉のないシンは、それでも「なんだよそれ」などとぶつぶつ呟きながら、半ば引きずるように、彼を宙港へと運んでいく。
「これから、どうするんだ？」
大人しく言うことを聞くことにしたらしいアスランが、医務室の場所を指し示しながら、ふと、聞いた。
「とりあえず仕事探さなきゃです。住むとこは、期限付きですけど国で貸してくれるっていうから」
復興工事の作業員募集のチラシが、帰還申請書に付いて来たなぁとシンは思った。
とりあえず、そんなとこからか。
ちょっとだけ、ザフトレッドの高給を振ってきたことを後悔した。
「なら、俺の手伝いをしてくれないか？機械いじったり、図面を引いたりなんだが。アカデミーを出たなら、多少はできるだろう？」
そんなシンに、アスランは嬉々とした様子でそう切り出す。
しかし。
「待ってください、あんたその軍服・・・」
アスランが着ているのは、オーブ軍の軍服だ。
その手伝いをするということは、シンも何度も戦った、オーブ軍の仕事をするということで。
「ああ。軍属扱いになるだろうが、今、これも足りないから。支給は作業着になるだろう。安心しろ」
「何を安心しろってんですか！」
噛み付いても、アスランは笑っていて。
とてもとても嬉しそうに、笑っていて。
「あんた・・・笑い過ぎ」
「すまない。でも、お前にまた会えて嬉しいんだ・・・最高の誕生日プレゼントだな」
「え、あんた今日誕生日なの！？」
聞けば、頷く。
１９になったんだ、と言って、また、笑う。
その人の笑顔。
こんな顔で笑うこの人を、シンは、はじめて見た。
故郷に帰ろうと、そう思った原因はいくつもあった。
ステラの言ったこと、レイのこと、議長のこと、自分のこれから。
でも、シンを決心させたのは。
『君は、本当はオーブが好きだったんじゃないか？』
この人の、言葉。
そして、そう言った人と。
もっと、話をしなければと思ったから。
「・・・いいですよ、手伝い、しても」
この人と話をするには、側にいるのには。それは願ってもないことで。
そう、オーブ軍がどうこうと、余計なことさえ考えなければ。
「助かるよ、忙しくてかなわなかったんだ」
修理中の、
復興中の小さな国。
日の光の、いっぱいに降る、この国で。
もう一度。
ここから、はじめよう。
ふたりで。
「とりあえず、誕生におめでとうございます。プレゼントないですからね？」
「だから言ったろう、お前に会えたことが、最高のプレゼントだよ」