ぬくもり
家にたどり着いたとき、部屋の明かりがすべて消えていると、なんだかもの凄く寂しくなる。
シンは、ちいさくため息をつきながら、かじかんだ手で、自宅の鍵を取り出した。
半感応式のエントランスライトが点いて、少しは明るくなったけれど、それでもいったんノブを引いて、鍵が掛かっていることを確認する作業は、また、彼の心を沈ませた。
なんだよ、いらん時には徹夜とかするくせに、こういう時ばっかりさっさと寝ちゃってさ。
ぶつぶつ呟く理不尽さは、シンにだってわかっている。
なんだかんだと仕事が長引いて、時間はもう、深夜の２時近い。納期前ならともかく、規則正しい生活を好むアスランが、起きているはずがないのだ。
鍵を開けて、ドアをくぐる。
ひょう、と、冷たい空気が家の中に吹き込んで、慌ててドアを閉めて。
また、内側から鍵を掛けなおしていると、反応するもののなくなったライトが勝手に消えて、シンは仕方なしに、手探りでスイッチを探して明かりをつけた。
明かりをつけても寒々しい部屋に、もうひとつ、ため息が漏れた。
シンとアスランが同棲を始めたのは、戦後、しばらく経ってからだった。
それまでの紆余曲折は、思い出したくもないものから、大切な思い出までいろいろだ。
それでも今、アスランが側に居てくれる。
それだけで、シンには十分。
十分。な、はずだったのに。
そういえば、８時ごろに差し入れのビスケットを齧ったきり、何も食べてなかったな。
お腹がすいた。
でも、居間のテーブルの上は、綺麗に片付けられていて。
あたりまえだ。だって、今日は遅くなるから、とっておかなくていいと言ったのはシンなのだから。
でも、ほんとに片付けちゃうことないじゃないか。
お腹がすいた。
でも、何かを用意する気力もなくて。
仕方がないので、ストッカーに入っていたパンを、何もつけずにもそもそと食べた。
あんまり、美味しくなかった。
何か、外で食べてくればよかったかなぁと思う。
そう、終日営業のファーストフードかなんかで。
そうすれば、もっと美味しいものでお腹はいっぱいになったし、あたたかいコーヒーでも飲めば、十分に暖も取れただろう。
なんで俺、まっすぐ帰って来ちゃったのかな。
何かあったかいの、飲みたい。
お湯はポットにいつでも沸いている。
でも、自分で何かを入れる気力がわかない。
食事を作る気にならないのと一緒だ。
寒いだけなんだから、シャワー浴びてさっさと寝ようかな。
でも、もうシャワー浴びるのもめんどくさいや・・・・
好きで残ったザフトだけれど、それなりに自分の責任を自覚すれば、いくらシンでも気疲れだってする。
昼間の訓練で体が疲れていれば、なおさらだ。
シャワーは明日浴びればいいやと投げやりに思い、シンは上着だけを脱いで、部屋の明かりを消した。
点けっぱなしはいけないと、アスランに散々言われている。
身に染み付いたその習慣にもイライラしながら、それでもシンは眠っているはずのアスランを起こさないようにそっと、寝室のドアを開けた。
きっちりと閉められたカーテンのせいで、部屋の中はどうしようもなく暗い。
それでも、なんとか見えるベッドの上には、決して薄くはない膨らみが、堂々と真ん中に陣取っていた。
俺の場所くらい開けておけっての。
ムカつきながら部屋に足を踏み入れれば、それに反応して小さな足元灯が点く。
シンは、その灯りを感応式から常時点灯に切り替えて、そのあえかな光を頼りに、パジャマに着替えた。
軍服のアンダーのままだと、やっぱり、アスランがいい顔をしないから。
体はだいぶ冷えているはずなのに、羽織ったパジャマはもっと冷たくて、シンは身を震わせた。
着替えるんじゃなかった。
寒い。
それでも、ブーツを放って裸足になると、伸びた指に、一息つけた。
本当は軍服は吊っておかなくちゃいけないんだけれど、暗いからと諦めて、部屋の隅の椅子に引っ掛ける。
こうしておけば、少なくとも酷い皺はつかないことは、経験で知っているから。
アスランも、小言は言うけれど、許してくれる。
・・・・・なんで許してもらわなくちゃいけないんだよ。
なんだか、更にムカついた。
ぺたぺたとドアに戻って、足元灯を消す。
目が随分慣れてきて、それでももう、困らない。
シンは、ベッドに歩み寄りながら、どうやってこの人を起こさずに、自分の寝る場所を確保しようかとそんなことを考えていた。
寝室には、ベッドはひとつきりだ。
それは、同棲すると決まった時にシンが主張したのだし、アスランも頷いてくれたことだった。
普段から、アスランはシンよりも寝相が良いし、彼に蹴るなと言われたことはあっても、シンが困ったことはない。
でも。
先にアスランが寝てしまったときには、えてしてこういうことが起きるのだ。
一緒に寝るのわかってるのに、なんで真ん中で寝ちゃうんだよ。
俺が困るとか思わないのかよ。
俺が帰ってくるってわかってない？
俺が。
ここに帰ってくるなんて、思ってないってこと？
なんだか涙が沸いてきた。
ぐし、と鼻を鳴らして、シンは拳でそれを拭う。
寝ちゃってるのは、仕方ないけどさ。
これって、あんまりじゃないか
でも。
それでも、いつまでもここでぐずぐずしていたら、ただでさえ少ない睡眠時間がなくなってしまうから。
裸足の足から、床へと。
じわりじわりと、残り少ない熱が、奪われていってしまうから。
シンは慎重に、ベッドの上掛けをめくる。
ぬくんだ空気が舞い上がり、ほっと、息をついた。
そうして
「おかえり。・・・・・遅かった、な」
暗い部屋の、更に暗い、布団の中。
瞬く翠。
熱いとさえ感じる、腕が、伸びて。
「早く入れよ。寒い」
「でも、退けてくれないと」
「退かなくても入れるだろ」
どうやら起きてしまったらしいアスランは、そのまま、寝起きとは思えない力で、シンをベッドに引きずり込み。
そうして、その熱い腕で、抱きこんだ。
冷え切った体に、今しがたまで眠っていたと思しい人間の体温は、どうしようもなく心地よくて。
シンは、家に帰り着いてからのイライラやムカつきを、すべて、一瞬で忘れた。
「外、寒いのか」
「ええ、まあ、少し」
「そうか」
そんなやりとりの後、アスランはまた、目を閉じて。
間をおかずに、すうすうと、柔らかな聞こえてきた。
シンのよく知っている、アスランの寝息だ。
シンを眠りに誘う、心地良いリズム。
アスランのぬくもりが、シンに伝わって。
冷えたパジャマがぬくもって。
冷えた皮膚が、ぬくもって。
ぬくもって、初めて、体が、芯まで冷えていることに気が付いて。
でもそれも、だんだん。
だんだん、ぬくもって、きて。
あれ、これじゃ。
アスランの方が、冷たくなっちゃうんじゃないのかな。
ねえ。
あんた、寒くない・・・？
引き寄せた肩は、それでもやっぱりあたたかかった。
逆に、冷え切っていた指先が、彼の肩にあたためられていく。
ああ、ここはあったかいな。
アスランの傍はあったかい。
あたりまえだ。
だって。
だって・・・・
シンの思考は、自然と湧いた答えに納得して。
そうして、あたたかな闇に沈んでいく。
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恋人の、冷えた背中を抱いて。 |
狭いベッドの真ん中で、ふたり。
幸福な眠りは、いつも、ここに。