もう、どこにも
アスランと、眠るとき。
彼はいつも、シンを深く抱き込んでいた。
シンが眠り込んだときは、ただくっついていただけの時も、起きてみれば、いつも。
いつも、シンはアスランの腕の中。
あたたかな腕。
名残の残る、肌の匂い。
こっそりと、胸に頬をつければ、とくとくと、鼓動の音さえ聞こえてきて。
目を上げれば、跳ねた青い髪が、常夜灯に光って、なんだかきれいで。
それから。
目が覚めたのか、寝ぼけていたのか。
時々、大きな手がシンの背を撫でて。
くっついた頭を、もっと、と、抱き寄せて。
髪の間に、吐息を感じて。
そうして、やさしく、口付けられる。
そんな夜が、シンは好きだった。
なくした何かが、戻ってきたようで。
大切なものが、手に入ったようで。
とても、とても、好きだった。
ペダルを踏み込めば、信じられない衝撃が全身を襲った。
マニュアルにあった数字より、ずっと大きなGを体感する。
シートベルトに、胸が圧迫されて痛い。
速い。
基地の近くだから、レーダーが使える。
赤外線センサーもメインカメラも、インパルスよりもずっとクリアだ。
雷雲も豪雨も、シンの視界を遮らない。
だから。
敵機は、すぐに捕捉できた。
敵、機。
敵。
敵に強奪された僚機。
最新の、でも、量産型。
このディスティニーの敵じゃない。
敵じゃ、ない。
敵じゃ・・・
「シン！」
なんであんたがそんなところにいるんだ。
なんであんたが量産機なんかに乗ってるんだ。
さっき、俺と一緒に最新鋭機をもらったじゃないか。
もっと凄いのに乗って。
もっと、敵を倒すんじゃなかったのか。
もっと、敵を。
敵。
彼が、今は。
敵。
「敵なんだ。彼は・・・彼らは！」
敵。
敵。
アレは、今。
敵。
手元に、あの機体のデータを呼び出した。
それと同時に、発砲。
当たらないのは、この機体の慣熟が済んでいないからだ。
いや。
それは、相手も同じ。
ならば腕の差か。
しかし、機体が。
機体が、違う。
ディスティニーは速い。完全に追いついてしまった。ビームライフルを使うには、間合いが近すぎる。
もう一度、パルマ・フィオキーナ。いや。
アロンダイトを、抜く。
加速。
スレイヤーズウイップ。間合いを取られる。
しかし、当たらない。
所詮量産機か。
それとも。
アイツが、本気でないからか。
隙が見えた。
ほんの一瞬、がら空きのコックピット。
やれる。
狙い通りに、吸い込まれていく。
いや、逸れた。
わずかに、コックピットは回避された。
でもそこはメインジェネレーターの側だ！
その手ごたえを、どう表現したらいいのだろう。
まるで、自らの手で、ビームソードを握っているような感覚。
溶かされる装甲。
それよりも軟い内部。
かすかな抵抗は、切っ先が機関部に突き当たったせいで。
しかし、それも瞬時に貫いた。
メインカメラの前には、青い装甲。
夜の闇に溶けたそれは、まるで、あの人の髪のよう。
ぐん、と、ディスティニーの両腕に、先ほどとは違う付加がかかった。
反射で、ビームソードをパージする。
落ちていく、青。
青黒い、海の中に。
海の中に、落ちて。
そして。
上がった爆光は、シンの見慣れた、ただの撃墜の光だった。
今まで撃ち落してきた敵機と同じ。
同じ色、だった。
「アス・・・ラン・・・・？」
あの青い色は、もう、どこにもない。
爆発の光に目が覚めた。
シンは今、操縦桿を握っていない。
足はベッドに投げ出され、フットペダルを踏んでいない。
背中は、やわらかいベッドの上で。
あの、胸を締め付けるようなシートベルトの感触は、なかった。
見えているのは、見慣れた天井のはずなのに、目の中にはまだ、あの閃光が残っている。
頭が、痛い。
「夢、だ」
口にしても、まったく楽にはならなくて。
シンはころりと寝返りをうった。
幸い、レイは起きていなかった。
それを確認して、深く息をつく。
『それは、弱さだ』
わかっていても、そう言われてしまうのは、怖い。
自分の弱さが、わかって、怖い。
シーツが汗を吸い取って、効いた空調が、シンの汗を乾かしていく。
呼吸が落ち着けば、もう、何事もなかったかのような。
いつもの、夜だ。
無意識に、何かを探して手が動く。
しかし、シンの欲しがったものが、ここにあるはずもなく。
ぬくもりを。
あの、やさしい人を。
欲しがった手は、得られなかった温度の代わりに、冷たい涙を拭って冷えた。
あの、やさしい腕は、もう、どこにもない。
あの、気持ちのいい肌の匂いは、もうしない。
あの、大好きな唇は、もう口付けてくれない。
あの、やさしい夜は。
シンの帰る場所は、もう、どこにも。
ハンガーに掛けられた赤服の胸で。
白い徽章が、ちかりと、光った。