道、半ば
覗き込んだ病室で、寝台の上にアスランの姿を認めて、メイリンの心臓は跳ね上がった。
包帯だらけの痩せた腕が毛布を掴み、翠の瞳が見開かれて・・・わずかに起こされていた半身が、とさりとまた、シーツに戻る。
「・・・っ」
苦痛に歪む表情、しかし彼は、すぐにそれを消して。
「メイリン・・・」
かすれた声で呼ばれた名は、まるで、自分のものの気がしなかった。
「まったく・・・ああ、あんたからも言ってやってくれないか？あんま、じたばたすんの止めろって」
他に人がいるとは思わなかったので、一瞬びくりと身が竦んだ。
彼の向かいのベッドに座り込んだ人物は、何故かしっかりと両手を拘束されている。
「傷開いたら元も子もないっての」
ぶつぶつと言うその人に、アスランは小さく「すみません」と謝ってから、首だけを上げて、メイリンを見上げた。
「無事で、良かった」
綺麗な瞳がわずかに歪んで、言いようのない表情を作る。
「巻き込んで、すまなかった・・・・」
尖った肘がシーツに付かれて、酷く危なっかしく体が浮く。
そうして、深々と頭を下げるさまを見て、メイリンは呆然とした。
いつも、遠くから見ていたこの人は、どこか超然として、無表情で。
全然、違う世界の人みたいに思っていたけれど。
ああ、でも。
いつか、独りで立っていた彼を思い出す。
あの姿を思うと、今の彼は不思議ではなくて。
「いいえ・・・あの、助かって、よかったです」
自然にこぼれた笑みを見て、アスランもまた、ほっとした表情を見せた。
それから。
「・・・・つっ」
「あ、だ、大丈夫ですか？」
からからと点滴を引いて、よたよたと駆け寄ると、その人は突っ伏したシーツから顔を上げて、こく、と頷く。
自分がほとんど怪我もなく済んでいるのに、彼がこんなひどい怪我をしている、その意味を思って、少し、泣きそうになった。
支えようと触れた体が、温かくて。
何故か、もっと、泣きたくなった。
「すまない・・・ありがとう。君のおかげで助かった」
腕の中から上がった声に、小さな誇りが湧き上がる。
スパイだと決め付けられたとき。
撃ち落されるとおもったとき。
怖かった。
悲しかった。
どうして、と、思った。
それでも、この人を助けたことを後悔はしなかった。
今でも、していない。
それを、誇らしいと、思った。
「ああ、ここにいたのね」
不意に、後ろから声をかけられた。
振り返ると、ミリアリアが覗き込んでいて、勝手に出てきたメイリンは、慌てて点滴台を引き寄せる。
「あの、ごめんなさい・・・」
「責めてるんじゃないわ。様子見に来たらいなかったから、ここかなと思っただけよ」
この艦のオペレーター兼シーアイシーターだというこの人は、年も近いせいか、メイリンの面倒を良く見てくれる。
ほとんどナチュラルばかりのこの船にも、やっぱり女の子が乗っている、不思議。
「あなたも、誰か見張ってないと大人しくできないの？」
「・・・・すまない」
小さくなったアスランに、うんうんと頷く金髪の男。
どこかほのぼのとした雰囲気に、本当にアスランは、昔この艦に乗っていたのだと、ひどい疎外感がメイリンを襲う。
しかし、ミリアリアは少女の肩をぽんと叩いて。
「意外と元気よ、安心した？」
そう言って、にこりと笑ってくれた。
「・・・・うん」
それでも、まだ起き上がれないらしいアスランは痛々しくて、頷きは、力ないものになってしまう。
そのアスランに毛布を掛け直してやりながら、ミリアリアはさばさばと言った。
「大丈夫よ、この人、殺したって死なないんだから」
そう、なのかも知れない。
この人は、伝説のエースパイロット、アスラン・ザラなのだから。
メイリンが頷こうとしたとき、アスランの硬い声が、先に答えた。
「・・・・ああ。俺は、死ぬわけには、いかない」
それは、硬くて重くて。
怖い、声。
「ごめん、そういうつもりじゃなかったのよ」
ミリアリアも声を落とす。
空気が、どこか重くなりかけた時、今まで黙っていた男がのんびりと声を上げた。
「で、俺はいつまでここにいりゃいい訳」
その一言で、空気が変わった。
「仕方ないじゃないですか。艦の拘束室は潰しちゃったし、ここも民間の施設だし。もうしばらくここにいてください」
ちゃきちゃきと言い返すミリアリアに、男は呆れたような声を返す。
「はぁ？マトモな軍艦のすることじゃないぜ、それ」
「だって、アークエンジェルは、軍艦じゃありませんから」
メイリンは、そういい切った女性を見上げた。
そう、ここは、とても軍艦とは思えない。
働く人間の立ち振る舞いを見れば、その道のプロだということは良くわかる。
それでも、自分の面倒を見てくれているのはオペレーター兼シーアイシーターだというこの人だし、オーブのお姫様が不意に来て「私に任せろ！」と意味不明の頼もしさを見せて去って行くし、捕虜らしい人は医務室に繋ぎっ放しで、その隣に平気で他の患者を寝かせるし、自分に至っては、敵軍だったというのに、拘束さえされていない。
それでも皆、これが当然とばかりにけろりとしている。
これは、軍隊じゃ、ない。
ここは、戦争をする組織ではないのだ。
「じゃあね、あんたちゃんと寝てなさいよ！」
「・・・わかった」
頷いたアスランに、皆が不信の目を向けたが、本人はそれにまったく気が付かない様子で、早速身を起こしかける。
「メイリン」
そうして、少女の名を呼んで。
「本当に、ありがとう」
メイリンは、ただ、首を振った。
自分のベッドに戻ると、意外と疲れていたのだと思い知る。
自分の体の重さに、座り込んだことはアカデミーの訓練以来だ。
付き添ってくれたミリアリアにお礼を言って、それから、メイリンは気になっていたことを、思い切って聞いてみた。
「あ、の、さっきの、死ぬわけにはいかないって・・・」
あの言葉は、確かにミリアリアに向けたものだった。
何故？
「ほんと、そういうつもりじゃなかったんだけどな」
少し苦しそうに笑ったミリアリアは、側の椅子に腰掛けた。
きし、と、わずかにきしむ音が、静かな部屋に奇妙に響いた。
「前の戦争で、ね、私の彼が、戦闘機に乗って、死んじゃって」
メイリンは、息を飲んだ。
「撃ち落したのがね、アスランなんだって」
だから、自分が殺した彼らの分まで死ねない、ということなのだと。
「戦争って、嫌よね」
「・・・はい」
そう、はっきりと言えるこの人を、すごいと思った。
そう言って、平気でアスランの面倒が見られるこの人を、すごい、と、思った。
プラント生まれのメイリンは、今までほとんどナチュラルに会ったことがなかった。
ナチュラルなんて、と、はっきり馬鹿にしていた。
本当は全然違うと、ここに来て、初めて知った。
「あ、ご飯出来てる時間。持ってくるわね」
「ありがとうございます・・・あ、あの」
去りかけた人の制服の裾を、思わず伸ばした指が引っ掛ける。
「何？」
「あの人・・・食事、取ってますか？」
姉が、言っていたことを思い出す。
最近、アスランが食事を取っていないように見える、と。
「ええ、少しづつだけど」
笑ったミリアリアに礼を言って、メイリンは天井を見上げた。
お姉ちゃん、食べてるって。
しかし、それを報告するすべは、なかった。
「モテモテだねぇ、君」
嵐のように去った少女たちを見送って、ネオはからかうような声を上げた。
ずっと同じ部屋にいるのに、どうにもコミュニケーションの取りづらい少年の突破口を見つけた気分だったが、彼は相変わらず暗い顔をして、ゆっくりと首を振った。
「俺は、いろいろな人に許されて、生きているから」
それは、この年の少年には相応しくない声で、言葉で。
ああ畜生、とネオは思う。
「そんなの、誰でも一緒だろ」
「そうですね。・・・ありがとうございます、少佐」
それでも、少年はかすかに笑って、しかしネオは大きくため息をついた。
「だから、俺は大佐だっての」
どうしてここの連中は、俺を格下げしたがるのか。
でも、確かに。
階級なぞは、どうでもいいものだったけれど。
自分を、決して階級では呼ばなかった部下たちを思い出す。
無邪気な少年少女たち。
恐らく、彼女は死んだだろう。
あと、もう一人。
それも、時間の問題だ。
「・・・・なあ、お前ミネルバにいたのか？」
「はい」
「じゃあ、ステラ助けてくれた少年、知ってるか？」
アスランが、あからさまに言葉に詰まった。
「・・・・はい」
地雷の多いヤツだなあと思う。
かわいそうに、とも思う。
それでも、この件に関して、ネオは遠慮をするつもりはない。
「どうしてた？」
「たぶん、元気だと思いますが」
「そうか」
闇に、あかあかと燃えていた、少年の瞳。
元気、ね。
それは、ここのモニターからも、なんとなく、わかる。
元気にステラの復讐をしている、ということなのだろう。
それがステラに良いことなのかどうか、少年に良いことなのかどうか、ネオは知らない。
でも、元気。
なら、いいか。
「・・・？」
「いや、人を裏切るのは、辛いなと思ってさ」
「・・・そうですね」
アスランは、シーツに頬を埋めて動かなくなった。
そう。
人を裏切るのは、辛い。
自分が裏切ったつもりはなくても。
彼は、そう思っているだろう。
彼を、助けたいと思っていた。
しかし、何も出来ずに逃げてきてしまった。
それは、彼を助けたい自分への、裏切りでも、あった。
様々な人間の、様々な想いを乗せて。
沈黙の大天使は、いまだ、地の底に沈んでいる。