深夜の新宿、繁華街｡

眠らない町の、歩道の手すりに座り込み、ネオンの向こうを見上げる人影があった｡

誰もがふり返るような、女と見まごう美貌の青年である。しかし、訳知り顔の者たちは、決して声をかけようとはしない｡

絃の花月。

昔、裏新宿無限城において、「ＶＯＬＴＳ」の四天王として名を馳せ、いまだに大きな影響力を持つ彼は、しかし今は、低くたれ込める雲に、頂きの見えない不法ビル群を、「外」から眺めていた｡

 

 

「よう、何やってんだ絃巻き」

「・・・美堂君」

よく知った声に、ふり返る｡

偉そうに声をかけたのは、「邪眼の男」美堂蛮。

花月の唯一従った、「雷帝」天野銀次の、今の相棒だった｡

「銀次さんは一緒じゃないんですか？」

「車でグースカ寝てら」

「それは残念」

本当に残念そうに言うと、花月は何事もなかったように無限城に向き直った｡

自然、無視される形になった蛮は面白くない｡

「無限城、ね。帰らねぇのかよテメーは。飛針のアンチャンも遠当てヤローもあそこにいんだろ」

花月が、自分の居場所と定めた銀次の側は、今、共にゲットバッカーズの名を継ぐ蛮で埋まっている。

銀次を追うように、無限城を出た花月の居場所は、そこにはない。

つまりは「尻尾巻いてとっとと帰れや」と挑発してみたわけだが、蛮もこの女のような顔をした男の沸点が、まだ、いまいちわかっていない。

ブチ切れるか笑うか拗ねるか、糸目にでもなってやり過ごされるか。

子供の頃、寝ている犬に石を投げたときの、わくわくした気分を思い出しながら反応を待っていたのだが、帰って来たのは「そのうちにね」という静かな声だった。

「あそこにいたのは、母の遺言でしたから。そのうち帰りますけれどね・・・今は、まだ」

 

銀次に付きまとうでもなく、無限城に帰ることもなく｡

一歩引いて、銀次を。

「外」から、無限城を見つめつづける男。

 

あぁ、そうか。

蛮は思った｡

「ジョーカーを気取るつもりか？テメーがそれほどのタマかよ」

「ふふっ、確かに僕は絃術師がせいぜいですよ｡でも、フリーのカードが一枚あれば、有利になる局面もあるかもしれません」

「一戦目でいきなり取られて、相手札んなりやがったトランプ君がナニ言ってやがる」

「ソレ、本当に痛いんですが・・・」

苦笑いをする、ふたつばかり年上の男は、それでもそびえ立つ古巣に視線を固定させたまま。

 

ムカツク

 

最強を自認する自分と話しながら、それでも遠くを見たままの横顔は、猥雑なネオンを映しても、どこまでも清冽で美しかった｡

 

すげームカツク

 

蛮は、その視線の先へと顔を突っ込んだ｡

少女めいた黒目がちの瞳が、きょとんと自分を見ている｡

それが愉快だ。

 

ホント女みてぇだな。

そう思ったとたん、体が勝手に動いていた｡

 

 

あ、唇柔らけぇ。

 

 

ついでとばかりにさらさらとした髪の間に指を突っ込み、キスを深くする｡

舌をゆるく吸い上げると、蛮の口腔に導かれたそれが、柔らかく歯列をなぞってきた。

軽く噛んで悪戯を止め、深く絡めあう｡

 

「・・・キス、上手いですね」

透明な糸で繋がったままの唇がつぶやいた｡

闇色の瞳が、きちんと自分を捉えているのは気分がいい。

「テメーもな」

 

もう一度、キス。

 

「ん、ふ・・・・」

 

「濡れてきちまったか？」

赤く濡れた唇が、クスリと笑った｡

「さすがに、濡れるのは無理ですよ｡女性じゃありませんから」

「否定すんのはそこだけかよ」

「ええ。・・・します？」

艶かしく細められた瞳は、今は確かに、蛮に向けられていた。

 

 

テキトーに入ったホテルの、テキトーに選んだ部屋。

シャワーを浴びるのも面倒で、そのままベッドになだれ込んで。

さすがにすぐに突っ込むのはムリなので、備え付けのローションで慣らしてやると、女みたいな顔した男は、やっぱり女みたいな顔して啼いた。

「あっ・・・美堂君、ちょっ・・・あんっ・・・」

なのにやっぱり女とちがって胸はないし、違うモノはついてるし。

そう思って唯一と言っていい、花月の男を主張するソレをいじってみると、余計に女みたいな声が上がった。

「あっ・・・はぁん・・・・・」

ソレはソレで面白い。

倒錯的で楽しい。ってえのは、なるほどこういうことなのかと、妙な感慨に浸りつつ、蛮はそろそろいいだろ、と、その細い腰を掴み上げた。

「あんまり・・・乱暴にしないで下さい・・・」

「んなカッコして言うことじゃねぇだろ」

とたん、腰だけを突き出したかたちで、蛮を待っていた花月の体が、より一層赤くなった。

「やっぱり帰りま・・・っ、ああああ！っん・・・」

もちろん、蛮がそれを許すはずもなく。

うるさい口に、指を。

そして細い腰に、自身をねじ込んで、花月の言葉を奪い取った。

「どーだ？絃巻き」

きつく、しかし柔らかく迎え入れるソコが、花月のすべてを物語っている。

「う・・・・ん・・・・ンっ」

蛮の動きにあわせて揺れる腰は、今の快楽を、存分に味わうことを知っている。

してもらうばかりのお姫様かと思えば、自ら腰を振るって、蛮を悦ばせることもする。

 

コイツぁいいや。

気まぐれと成り行きだけで抱き合うのには、最高の相手だった。

あとくされも虚勢もしがらみも余計な感情もなんにもない。

今だけ、互いを見ていればいい。

今だけ、とりあえず全部忘れて。

互いに、溺れる。

 

それだけ。

 

 

 

 

 

「あー！見えるトコに跡つけましたね！！」

シャワーの方から素っ頓狂な声が聞こえた。

「んな首開き着てるのが悪ィんだろーが」

煙草に火を点けながら、蛮は言う。

「首なんか誰だって見えますよ」

信じられない人だなぁ、とぼやきながら出てきたは、蛮いわく「首開き」の、いつもの姿だった。

「何だよ、寝てかねーのか。あの雲だと、きっともう雨降ってんぜ」

久々にベッドで眠れると思っていた蛮がこぼすと、んっ、と伸びをした花月はくすりと笑って言った。

「ここは、無限城が見えませんからね」

 

窓のない部屋の、コンクリートの壁の向こう。

ビルの向こう、雨の向こう。

遠い視線の、その先は。

 

「そーかい」

ふてくされた蛮の声にくすりと笑い、白い手を振って花月はドアへと向かう。

「寝ていってもいいですよ。楽しませてもらいましたから、ここは僕が払います」

「トーゼンだろ」

「はいはい。じゃあ、おやすみなさい」

一度だけ、蛮の方に視線を投げて、花月はドアをくぐっていった。

 

 

 

そのドアを、ゆらゆらと立ち上る紫煙越しに見ながら、蛮はニコチンの味と共に、ほろ苦い思いを味わう。

 

雨に濡れる絃使い

匣の中の少年王

バカ正直なサムライ

足枷付きの猿マワシ

淋しがりな魔女

車で寝てる、カミナリ小僧

それから。

 

「あ“―やめやめ。せっかくヒトの金であったかい寝床にありついたんだ。寝なきゃソンだろ」

声をあげて、煙草をもみ消すと、蛮はベッドに転がる｡

 

 

 

寝息が聞こえるまで、三秒とかからなかった。