ドアを開けたとき、十兵衛は少し戸惑った。

自分の部屋の、そっけないパイプイスに座る人の正体を、一瞬だけ疑ってしまったから。

「花月？」

しかしそれは花月以外の何者でもなく、十兵衛を認めてふわりと笑った彼は、ちいさく「おかえり」とだけ言った。

「ああ」

十兵衛を惑わせたのは、化粧と香水の匂いだった。

気配が違うのは、女物の衣装を纏っているからか。

「十兵衛」

花月が立ち上がると、新たに甘い香りが匂い立つ。

「裏へ繋がる絃を、見つけたよ」

そのまま十兵衛の背へ腕をまわし、きゅう、と身を寄せる花月を抱きしめながら、十兵衛はとうとうこの時が来たのかと覚悟を決めた。

「そうか」

「頽廃の地下都市『ソドムナード』・・・ふふ、『上』じゃなくて、『下』だったとはね」

身を離した花月は、十兵衛の閉じられた目蓋を覗き込んだ。長い睫毛が、ゆっくりとまたたく。

「文字通り、地獄の底まで付き合ってくれるかい？」

「あたり前だ。そのために俺は、ここにいる」

当然のような言葉に切なく笑い、花月はそっと目を閉じて仰のいた。

しっとりと重なった唇は、やがて貪るように互いを食む。

いっそう深く十兵衛を求めようとした花月を、しかし大きな手が引き離した。

「・・・十兵衛？」

いつもならば、ここでリードを取るのは十兵衛の方だ。

彼は花月に快楽を与えることに、躊躇しない。

しかし十兵衛は手の甲でぐい、と唇を拭うと、戸惑ったように花月を見下ろした。

「・・・・風呂に入らんか？」

「・・・？いいけど」

花月も、いつもとは違う姿をしている自覚はある。酒場にもぐり込むためとはいえ、なにせフルメイクにチャイナドレスだ。

見えなくても、あらゆることを知覚する十兵衛に、それを「見せたい」と思った。

事実確認のすぐ後に、ここを訪問した理由はそれだけではないが、少し、がっかりする。

ずっと追い求めていた情報に、やっと行き着いて、興奮しているのかも知れないな・・・

そう思うと、やっぱり少しくらいイタズラしてみたい。

「でも、もったいなくない？お化粧すごく時間かかったんだよ。ドレスもね、ヘヴンさんに相談してさ。あ、少しだけど、胸入ってるのわかる？よくできてるんだ。触ってみないか？」

十兵衛の手を取って、オイルパッドを詰めた胸に押し付けようとした花月だったが、逆に腕を掴まれて、風呂場まで引きずっていかれてしまった。

「うゎ、待ってよ」

チャイナドレスを引き剥がされ、頭からシャワーをかけられそうになって、花月はとりあえず降参することにした。

「自分で洗うから・・・あ、ねぇ十兵衛、朔羅さんにクレンジング借りてきてくれないかな」

時々泊まりに来る花月が持ち込んだせいで、シャンプーの類はひととおりあるのだが、さすがに化粧を落とす道具はない。

「くれんじんぐ・・・か？」

案の定理解できない十兵衛を、「言えばわかるから」と送り出し、花月はひとつ、ため息をついた。

見えないのはわかっていたけれど、こうまで嫌がられるとは思わなかった。

唇を拭うと、あんなにキスしたのに、まだチェリーピンクが指についた。

それを、ぺろりと舐めてみる。

香料の味が、ひどく花月を後悔させた。

「僕の服、来てなかったっけ？」

十兵衛が用意してくれた、大き過ぎるシャツを羽織って部屋に戻る。

着替えの類も少しは置いてあったはずなのに・・・

そう首を傾げながらドアを開けたところで、花月はいきなり襲われた。

「んっ・・・」

遠慮なく施されるキス。

くちゅくちゅと音を立てて舌が絡み合い、口腔を存分に愛されて、膝が抜ける。

「急に、何？じゅうべえ・・・」

問いには答えず、十兵衛は力の抜けた花月の体を壁に押さえ込み､耳元に顔を近づけて、くんくんと匂いを嗅いだ。

「お前の匂いだな」

そのまま首筋から胸元にかけて、じっくりと、洗いたての花月の匂いを堪能する。

「・・・・ごめん。化粧の匂い、そんなに嫌いだった？」

大人しく匂いを嗅がれながら､花月はぞくぞくとこみ上げる快楽の予感に身を震わせる。

「嫌いではないが・・・まるで貴様ではないようで､少し､困る」

「それって、僕じゃなきゃ困るってこと？」

羽織っただけのシャツの胸から覗く、形良い鎖骨の口付けられて、意外と柔らかな髪を抱えて掻き乱して。

「何か少し違う気もするが・・・そうだな」

大きな手のひらが腰に回って､双丘をきつく愛撫する。

それは、合い間に秘められた場所の疼きを、激しく誘って。

「なんだい、それ」

軽く笑った声は､既に甘くかすれて上ずっている。

淫らな自分に苦笑しながら､花月は十兵衛の腕に腰ごと押されて、ベッドへと倒れこんだ。

下着もつけていない、剥き出しの足を柔らかく撫で上げる。

とたんに上がる高い声。

淫らな体、甘い匂い。

香料の香りなど、足もとにも及ばない、うつくしい匂い。

十兵衛の、花月。

「お前は、良い匂いがする」

羽織っただけのシャツを剥ぎ､胸の先をきつく吸って。

「なんだかそれ・・・すごく、ヤらしい・・・・っ」

丁寧に洗われたのだろう、しっとりと水気を含んだ場所に、軽く舐めた指を差し込んで。

「んんっ・・・」

指一本でさえ、こんなにも淫らに締め付ける花月の方が、よほどいやらしいと十兵衛は思う。

「あ・・・十兵衛、はやく・・・・」

十兵衛を包み込む、しなやかな腕に惑わされながら、柔らかなその身に沈んで。

「あっ、あ・・・・・ん」

見えなくとも、十兵衛にはわかる。

快楽にほの紅く染まる肌は、どんな化粧よりも、花月に映えるのだ。

「やはり、貴様はそのままがいい」

後戯というには濃厚過ぎる口付けの嵐に、再び火を灯されそうになりながら。

花月は十兵衛の首を抱き寄せて、甘くささやいた。

「嬉しい・・・かも」

装っても喜んでもらえないのは悲しいけれど、それでも十兵衛がそう言ってくれるなら。

「ん・・・ねえ、十兵衛」

「なんだ」

口付けは、かなり際どいところまで。

花月の体は、どこもかしこも甘く香って。

「ずっと、一緒だよ？」

「ああ」

こんな馬鹿をやっていられるのも、今のうちだけ。

それを思うと、少し惜しいことをしたと思わないでもないが。

「貴様には、俺がいればいい」

「うん」

笑った、花月の。

紅など注さずとも紅い唇に、十兵衛は、万感の思いを込めて、口付けた。

---