勲章
情事の後の気だるい肢体を、しどけなくベッドに伸ばしながら。
未だ触れてくることをやめない恋人の手を、アスランはぼんやりと感じていた。
腕に触れていた手が、肩へ、首筋へと移り。
急所に唇が触れて、それが嬉しそうに震えたと思ったとたん、甘く噛み付かれ。
こら、と目の端に映る黒髪を叩くと、紅い瞳が覗き込んで、痛いですよ、と、馬鹿な嘘をついた。
「痛いわけないだろ」
今さっき施された愛咬のように、力の入っていない叩き方だったのだ。
それでもシンは、アンタに叩かれたら何だって痛いんだよ、とぶつぶつ呟いて、すぐさま噛んだ動脈の上を、熱い舌で舐めて癒した。
「・・・・ねえ、もっかいシていい？」
「ダメだ」
「なんで」
「明日に障る」
「平気ですってばこれくらい」
「俺が障るんだ、馬鹿野郎」
さっきよりも強く頭を叩けば、今度は痛い！ホントに痛い！と騒いで。
それでもシンはしぶしぶと、熱の引いたアスランよりも高い体温を持つ、心地良い体を離した。
その、細いくせにしなやかな力を秘めた肢体を眺めながら。
アスランは、緩く目を細める。
「シャワーでも浴びて来いよ」
「えー、なんかもったいない」
「何がだよ」
「だって、アンタとシた後ですよ？流しちゃうのもったいないです」
「勝手にしろ・・・」
「します」
シンがそう宣言すると、アスランは何かをもごもごと呟いて、それから毛布を被って丸くなってしまった。
その毛布の小山を見下ろして、なんだか可愛いとか思ったシンは、思いなおして側にあったティッシュで簡単に下肢を拭ってから、パンツとスラックスだけを身に着けた。
さすがに、素っ裸では居心地が悪い。
このミネルバでアスランの私室に招き入れられるのは、これで何度目になるのだろう。
既に数えるのも面倒な回数にはなっているのだけれど、その大半は説教を食らって逃げ出しているので、こうやって恋人らしい時間を過ごしたのは、数えるほどでしかない。
ていうか、させてもらったのだってこれで２回目だ。
初めての時は天にも昇る心地だったけど、２回目でも、それはやっぱり変わらなかった。
やばいよこの人。
聖人君子ヅラしてるくせに、コッチの方も凄いなんて反則だ。
でも、その人は、今はただの毛布のカタマリと化しているので。
シンは、好奇心の命じるままに、部屋の中を見回した。
何もない部屋だ。
ベッドの他には、作り付けの机と椅子が一組と、軍服を掛けておくクローゼットと、その下の収納ボックス。
机の上には、端末がひとつ。
後は、ベッドの側に、ふたり分の赤い制服が散らばっているだけだった。
あ、他のはぱっと見じゃわかんないけど、ブーツ、あからさまにアスランさんのがでかい。
なんかちょっとムカつく。
ちょい、と拾い上げた上着は、ちょっと見ただけではわからないけれど、かすかにかかる重みが大きいことと、襟に付いている白い標で、アスランのものだとわかった。
ザフトには、基本的には階級はない。
だから、こうやって付いてくる徽章や勲章は、ことのほか大きな意味を持ってくる。
それは小さな分、時には制服の色よりも、大きな意味を持つこともある。
この白い徽章はその最たるものだ。
「あれ？そういば・・・・」
この人、勲章とかも、もらったことあったんじゃなかったっけ。
がさごそと、軍服の裏を探る。
地球軍と違い、ザフトではふつう、勲章を軍服の表に付けることはない。
意味はよくわからないけれど、シンはその方がカッコイイと思う。
うん。よくわかんないけど。
でも。
「あれ？」
あるはずの身ごろ裏にも付いていなかったし、結構多いポケットの中にもなかった。
代わりに、精密ドライバーセットと何かの接続コードと、それからネジやらクランプやら・・・小さな六角レンチまで出てきたのには呆れた。
何持ち歩ってるんだこの人。
じゃなくて。
じゃ、持って歩かないで仕舞ってるのかな。
何だか無性にそれが見たくなって、シンは今度は机に向かった。
勝手に引き出しを開ける。
入っていたのは、書類挟みがひとつきりだった。
クローゼットを開けてみる。
予備の軍服と下着類と、それからあの趣味の悪い私服の他に入っていたのは・・・
なんで工具箱？
一応開けてはみたけれど、ほぼ新品のそれは工具箱以外の何者でもなかった。
その下の、収納ボックスには、薄いアタッシュケースがひとつ入っているだけだった。
さすがのシンも、そこまで勝手に開けるのは憚られる。
なので。
「アスランさーん、これ、この中見てもいい？」
ためらいもなく、シンはそう聞いた。
「ん？」
毛布を被ったままの、頭半分だけが、ベッドの陰から見えた。
緑の瞳が眠そうに瞬いて、アタッシュケースを抱えてしゃがみ込んだままのシンを映す。
「何も入ってないぞ」
「でも見たい」
「勝手にしろ」
そうして、何事もなかったかのように、また、毛布の中に引っ込んでしまった。
もしかしたら、寝てたのかもしれない。
悪かったな、と思ったシンは、そのままアタッシュケースをぱちんと開けた。
何枚かの書類と、電子書類を読み込むツール。それから、何かの部品・・・恐らく、解体した拳銃だ。
それだけだった。
なんだ、つまんない。
勲章ドコだろ。
確か、強いＭＳを倒してもらったやつなんだ。
ほとんど相打ちだったと思った。資料でちょっと見ただけだけど。
射撃も上手かったけど、ＭＳに乗ると、もっと凄いんだ。
そんな凄い人を、シンは手に入れたんだ。
この人が、凄い人だっていう証拠。
その勲章が、見たい。
「アスランさーん、寝ちゃった？」
「ん、いや・・・」
かろうじて起きてはいたらしいが、毛布の中から返った声は眠そうだった。
寝ちゃう前に、と、シンは思った。
その前に、聞かないと。
「ネビュラ勲章もらったでしょう？ドコにあんの？」
俺、見たい、と、無邪気に言う恋人に。
アスランは、眠気の飛んだ声で、ちいさく答えた。
「ないよ」
「え、なんで？」
「前に脱走した時に、持ち物は全て押収されたと思うぞ。今頃リサイクルされて、何かの部品にでもなってるんじゃないか？」
「・・・・・・」
シンは、あっけにとられてしまった。
だって勲章だよ？
なんでリサイクル。
なんで、部品。
「何で、そんなものが見たいんだ」
わずかに持ち上げられた毛布から、青い髪の小さな束と、緑の瞳の欠片が覗く。
シンは、どきりと心臓を跳ねさせた。
「だって、やっぱりこう・・・憧れるじゃないですか。俺だって軍人ですよ、そのうちもらいたいなぁとか、やっぱ思うし。あ、もらった時どうでした？やっぱ嬉しかった？」
言い訳は、嘘ではないから真実味があったと思う。
だって本当のことだ。シンだって、チャンスさえあれば欲しい。
それは、力ある者の証。
シンは、力が、欲しい。
「憧れ、か」
しかし、アスランの声は、何故だか深く沈んでいた。
毛布の陰から、わずかに覗いた青い髪が、シーツを滑って余計に乱れた。
「嬉しくなんか、なかった」
片方だけ覗いた緑の瞳が、ここではないどこか、シンではない誰かを映して、一度だけ、瞬く。
「あれがなくなって、本当に、良かった」
少しかすれたその声は、本当に、シンの与える愛撫に啼いていた、あの声と同じ人のものだろうか。
深く深く、奈落の淵から響くような、この声は。
「シン、すまないが」
緑の瞳と青い髪が、毛布に中に引っ込んで。
ベッドの小山が、きゅう、と小さくなった。
「出て行って、くれないか？」
少年は、その言葉に従うしかなかった。
例えば。
もし、お前を。
俺が、幸せにしてやることができたなら。
きっとそれは、俺にとってかけがえのない勲章になるだろう。
でも。
友を討ったこの手で俺は。
お前を、幸せにしてやることなんて、できるのだろうか。
アスランは、毛布の中で小さくちいさく体を丸めた。
大事に抱え込んでいた、彼の熱が冷えて。
胸の奥に、あの金色の塊のような。
冷たいものが、ひとつ、落ちた。