傷跡
緩やかに上下する､しなやかな背に視線を落す。
下肢だけをシーツの隠し、傍らに横たわるその人は、シンにとって欲望を煽ると同時に、憧れの対象でもあった。
停戦の英雄
伝説のトップガン
そう呼ばれる人の背中は、しかしその厳つい名に似合わず、意外なほど華奢で綺麗だった。
ほの赤く染まったままの肌は、ついさっきまでシンを熱くとろかせていた内を思い起こさせ、首筋に散った髪が、汗を含んで濡れているのがなまめかしい。
それでもよく見れば、肩やわき腹に弾痕が浮き、腕にもうっすらと傷痕が残っている。
最中は夢中であまり気にならなかったけれど、よく見れば、彼の体には戦士らしい傷がいくつもあった。
肩の傷跡にそうっと触れてみる。
しかしわずかな凹凸を感じてすぐに、肩はするりと逃げてしまう。
アスランが寝返りを打ち、指が空を切った代わりに、深く澄んだエメラルドと目が合った。
「どうした？」
シンの大好きな、穏やかで優しい声。
「寝てるかと思った」
嬉しくて笑うと、アスランも目を細めて答えてくれた。
「いや・・・少し、眠いがな」
ほんとは寝てたんだ、とシンにはわかった。
すまないとは思ったが、一緒にいるなら起きていてくれた方が嬉しい。
「・・・・ねえ、コレ、いつやったんですか？」
右肩の弾痕に、また、触れる。
それを格好良いと、シンは純粋に思った。
どんな戦いで負った傷だろう？
少年らしい好奇心を隠さないシンに、アスランは目を眇め、しかし視線を外すことなく淡々と答えた。
「ヤキン攻防戦の二月くらい前に、父に撃たれた」
父親に撃たれる。
それがどんなことなのか、シンは知らない。
それでも、今の質問が、文字通りアスランの傷にひどく触ったことくらいは、わかった。
「えと、じゃあ、ココは？」
話をそらすように、わき腹に指を滑らせる。
わざと、いやらしく撫でまわした手のひらは、アスランに笑って捕まえられた。
「・・・・・カガリが、まあ、うっかりな」
「あの女、あなたを撃ったんですか！？」
とたんに激昂したシンの手を掴んだまま、アスランは迂闊だったとため息をつく。
しかし、そんな仕草はシンを更に興奮させるだけだ。
「撃ったんですか！！」
逆にアスランの腕を捕まえ、引き上げて、なめらかな肌に残る、かすかな痕を凝視する。
「事故だ。オープンボルトの銃を放り投げようとするから止めたら、たまたま指が引き金にかかった。かすっただけなんだが・・・野戦で、すぐにちゃんとした処置ができなくて」
「はあ？銃を投げる？？何考えてんだあいつは！？」
さすがにそれは庇いようがなくて、半分吊り上げられたまま困っているアスランに、シンは感情のまま畳み掛けた。
「こことかも！あの女のせいですか？」
もう片方の腕も掴む。
そこに残る傷は、ほとんど消えかけているけれど。
アスランにとって、最も大きな傷のひとつだ。
「いや、そこは・・・キラと戦って、イージスで自爆したときだ」
人の狂気を、憎しみの果てにあるものを｡
我が身をもって知った、その証拠。
「キラ・・・って」
キラ・ヤマト。
もう一人の停戦の英雄。
アスランが、「親友」と呼ぶ男｡
「・・・・・・・」
シンは、気が付いた。
アスランはその身に、親しい者から受けた傷ばかりを纏っている。
「・・・・シン」
黙ってしまったシンが、何を考えたのか察したアスランは、軽く振って左腕を取り戻し、そっと、シンの頬に触れた。
「俺は、お前に傷つけられるのは嫌だし、お前を傷つけるのも嫌だからな」
あんな思いは、二度としたくないしさせたくない。
そう思う自分が、甘いのかもしれないけれど。
「俺だって！あなたに傷なんかつけたくない」
とっさにそう答えたけれど、ふと、思った。
「でも、あなたになら傷つけられてもいい」
「・・・・それが、俺は嫌なんだ」
なだめるようなアスランの言葉の意味を、シンはまだ、本当の意味では理解できない。
「それって、俺を好きってこと？」
ぱっ、と、嬉しそうに飛びついてきた年下の恋人を抱き止め、アスランはゆっくりと、その背を撫でた。
「ああ、そうだよ」
傷を、舐め合っているだけかもしれないけれど。
それでも、この純粋さを守りたいと思ってしまったから。
「俺も、あなたのことが大好きです」
好きだと、思ってしまったから。
再び求めてくる唇に応えてやりながら、アスランは見えない未来を思った。
今だ幼い、この少年の未来を。