癒し
遙か上空に、きらリと光る機体があった。
アスランの視力には、それがインパルスガンダムであることがはっきりと見て取れた。
そうして、アスランには。
それに乗っているのが間違いなくシンだと、何故だか確信できてしまった。
おいシン、おまえ、なんでまたそんなものに乗ってるんだ。
そう口に出しても、遠いシンには届かない。
やがてインパルスは急降下し、海面すれすれを飛行して。
ひらり、と一度舞い上がった後、ハンガーからビームライフルを取り外した。
海沿いの森林保護地帯。
細い道を駆けていく親子が見える。
やめろ、シン。
その言葉は。
やはり、シンには届かなくて。
閃光と、轟音。
それが消えた後には。
呆然とした少年が、ひとり、取り残されていた。
「ーーーーーっ！」
どきどきと、鼓動が激しく鳴っていた。
目の前の暗さに、一瞬パニックになりかけるも、すぐに窓から差し込む光に気づき、ここが寝室であることを思い出す。
ぐっしょりと濡れたパジャマが肌に張り付いて、毛布を跳ね除けた瞬間から、体温を奪って冷えていった。
「んぁ？ろーしたんれふか、アふランさん」
すぐ横に寝ていたシンが、回らないろれつで聞いてくる。
赤い、赤い瞳が闇の中で瞬いて、それからふい、と余所を向いた。
「まだ、４時前じゃないですかぁ」
くぁ、とあくびをしながら起きあがった彼の、好き放題に跳ねた黒髪の先が。
カーテンの隙間から漏れる明かりに、光って見えた。
「い、や・・・・」
へたん、とそこに座り込み、今の出来事を反芻し。
そこでやっと、アスランは、それが夢だったのだと気が付いた。
「は、ぁーーーーーー」
大きく息をついたアスランの様子に、寝ぼけ眼のシンも小首を傾げる。
「つかホントにどうしたんですか、・・・うわぐっしょり！」
そうして、肩に手をやって、たっぷりと汗を吸ったパジャマに驚いた。
「何これ更年期？」
くだらない冗談には拳で応え、アスランはその勢いのまま、ばったりとベッドに倒れ込んだ。
シーツまでが湿っていて、気持ちが悪い。
「痛って！殴ることないじゃないですか」
文句を言いながらも、心配そうにのぞき込む、シンの赤々とした瞳。
見たばかりの夢の最後に見た、飛び散った血と少年の瞳。
それから、インパルスのカラーリングの。
鮮烈な、赤。
「吐いてくる」
「え、ちょっ」
気持ち悪さが限界を超えそうで、アスランはむくりと起き上がった。
そのままのろのろとトイレに行くと、胃が勝手に中身を押し返した。
夕飯だったと思しきものをしこたま吐いて。
吐くものがなくなってもまだ吐いて。
やっとひと心地ついて顔を上げると、シンがトイレのドアの前で、心配そうにのぞき込んでいた。
酷い顔見せてるな、俺。
胃液と涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃになった顔をとりあえずトイレットペーパーで拭う。
しかし、ペーパーの滓があちこちに張り付いて、なんだかどうでもよくなった。
まあ、酷い顔見せるのはいつものことだ。
「・・・どうしたの」
「いや、ちょっと、夢見が悪くて」
聞かれても、それ以上は答えようがない。
今はもう、シンはインパルスには乗っていない。
誰も、殺していない。
今は。
あれは夢だ。
だったら、言う必要はない。
「ちょっとじゃないですよこれ」
ぺた、とシンがアスランの頬に触れた。
それから、頬についたペーパーの屑を取ってくれる。
「あ、水持って来ます」
そう言ってシンがトイレの入り口からどいたので、アスランは洗面所に移動して顔を洗った。
一緒に暮らしているとはいえ、あんまり恋人に見せたい顔ではない。
べたべたして気持ちが悪いし。
ごしごしと洗った顔を拭いていると、シンがコップに入れた水を持って来たので、軽く口を濯いでから、残りを飲み干す。
冷たい異物が食道から胃へ落ちていくのがはっきりとわかって、少し後悔した。
「えっと、アスランさん」
はぁー、と大きく息をついたアスランから、取り上げるようにコップを受け取って。
シンはどこか、ここではないところを見ているアスランの瞳をのぞき込んだ。
きれいな緑色のそれは、いったん重たい色になると、なかなか戻って来てくれない。
「俺のＰＴＳＤ見てくれてるお医者さんとこ、行きます？」
「いや」
何度も繰り返されたやりとりに、アスランは首を振った。
「言っただろ、俺は要治療リストから外れてる」
シンのそれと、自分のそれが、随分違うことを、アスラン自身も知っている。
あの戦争がアスランに残したものは、大きな後悔だけだった。
もっと上手く、何か、できなかったのかと。
そんな思いだけだった。
シンのように、深い傷を負うほど、自分は情のある人間ではないらしい。
だから。
「違うんだ、戦争のことじゃなくて。いや、戦争のことなんだが・・・」
そこで、一度言い淀んでから。
アスランは、のぞき込んでくる真っ赤な瞳を見返して。
溢れてきそうになった何かを飲み込んで。
それから、ぎゅうっと、シンを抱きしめた。
とたんに染み入る、自分よりもずっと高い体温が気持ちいい。
もう随分と育った、でも東洋系特有の骨の細さを残した体が、ああ、シンだなぁと感じられて。
「これが、一番効く」
アスランには、シンの存在が、一番の癒しだから。
そのアスランの体を抱き返して。
シンは、ちょっと悲しくなった。
アスランはいつだって、シンよりもたくさんのものを抱えていて。
シンのように発散もせずに、ただ、じいっと抱えてしまうのだ。
「ねえ、アスランさん」
そんなとき、シンはどうしていいか、わからないけれど。
でも。
「大好き」
それだけは確かだから。
そうすると、アスランは、へにゃっ、と情けない顔をして笑った。
なんだか、凄くシンの好きな顔だった。
「それが、一番効くなぁ」
その後は、いつもよりもべったりとくっついて寝た。
大丈夫。
シンは、今、ここにいる。
俺のそばに、いる。