インパルス impulse
むしゃくしゃして仕方がない。
シンは、ろくに当たらなかったターゲットを代え、また銃を構えた。
しかしそんなことをしても当然当たるわけもなく、イライラは溜まる一方で。
シンの勢いに、射撃場にいた他の兵士は皆逃げてしまった。
それをむしろ幸いと、シンは一人で銃を撃ちまくっていた。
「・・・・シン」
銃声と、ヘッドセット。
聞こえるわけがない。
「シン！」
ないというのに、その人の声は確かにシンの手を止めさせた。
「・・・・何なんですか」
イライラする。
腹が立つから、ヘッドセットはわざと外さない。
しかしアスランは、それをひょいと取り上げて、シンの目を見据えた。
「八つ当たりなら他所でやれ。ここは射撃場だ、遊び場じゃない」
「ああそうですね。ここは射撃場で戦場じゃない。ここでならあんたも役に立つんですよね」
苦い顔をしたアスランに、勢いを得たようにシンはまくし立てる。
このむしゃくしゃをぶつけられるなら、この際もう何だっていい。
「なんですかあれ、セイバーバラバラにして。艦守ったのはレイとルナだし、敵やったのは俺だし。大戦の英雄って、名前ばっかりでたいしたことなかったんですね！」
アスランは、何かをこらえるような顔をしたまま。
静かな声で。
「・・・・ああ、そうだな」
「っ！」
シンは軽くいなされたと思い、更に頭に血を上らせた。
そう、彼はいつもこんな顔をしている。
シンの言葉など、欠片も彼を傷つけない。
シンの力など、さしたる役にも立たない。
・・・・たった一人の少女さえ、救えない。
「ちっ、くしょーーー！」
パーティションを殴りつけると、思ったよりも大きな音がした。拳が痛い。
でも、衝動が止まらない。
「シン！」
再び繰り出した拳は、何かに当たる前にアスランの手のひらで止められていた。
「やめろ！」
腹の底に火がついたようだ。
やめられる、わけがない。
景気の悪い上官の顔に、同情の色が見て取れた。
ただ怒られるよりも、よほど、腹が立つ。
「こっの！」
今度は、思い切り顔面を狙った。
腕に込めた力も、先ほどの比ではなかった。
「お前な・・・・」
しかし、その拳はいとも簡単に左腕を使って跳ね上げられ、秀麗な眉が、いつもより更に寄った。
「少しは自分をコントロールすることを覚えろ。これじゃ・・・・」
「うるさい！」
勢いのまま繰り出した蹴りは、一歩、下がられて当たらない。
そうだ、ここは狭い。片側に壁、もう片側はパーティションに区切られた射撃台だ。
直線攻撃、前だけ見ればいい。
シンの得意な状況だ。
しかし間髪入れずに放った拳はまた一歩、下がられて空を切った。
ゆっくりと下がっているようにしか見えないのに、その動きにシンは追いつけなかった。
あと４歩、下がられたら広い待機スペースに出る。
その前に、決める。
速攻。
「っ！」
蹴りと拳のコンビネーションは悪くないはずだった。
しかしその４歩はあっさりと相手のものになり。
しかも、決めるはずだった拳の勢いが、そのまま。
「うわっ！」
見事に巴投げをかまされて、シンは一瞬で床に転がった。
何だ？何なんだ！？
「まったく、お前は」
呆れたような顔が、艦内灯の陰になりながらも、確かにシンを見下ろしている。
「いきなり、何を・・・・、っ！」
起き上がりざまに脚を払う。
しかし踵で止められて、飛び下がり。
反動をつけて。
「だあっ！」
避けられざまに背中を蹴られ、今度はうつ伏せに床に伸びた。
めちゃくちゃカッコ悪い。
「シン、さっきからお前・・・」
しかし、もう止めるわけにはいかない。
「っ、のヤロ・・・っ」
起き上がりざまに相手の位置を確認。さっきからほとんど動いていない。
しかも隙だらけに。
両腕を、下げて、立って。
何故だか、エメラルド色の瞳が揺れるのが目に付いたが、そんなものはすぐに意識の外へと追いやられ。
「この・・・っ！」
シンは、激しい衝動のままに、目の前の人間に、殴りかかっていた。
「あー、なんか聞いた話と違うわね」
包帯だらけの同僚に、急に寄りかかられて、レイはわずかに眉をひそめた。
射撃場の入り口は、既に人だかりだ。
しかし、誰も中に入ろうとはしない。
「動いて大丈夫なのか？ルナマリア」
「大丈夫よ。それよりなにあれ。シンがとうとう隊長やっちゃったって聞いたんだけど」
目に前の光景は、喧嘩、とか事件とかそういうものよりも。
「組み手？」
「ルール通りにやっているのは隊長だけだがな」
シンが仕掛けては、アスランが受け止めて返す。
その繰り返し。
シンは既に汗みずくで、アスランも息が上がっている。
それなのに、二人の動きには信じられないスピードとパワーがあって。
「なんか凄いわね」
「ほんとね」
後ろからの声に、ルナマリアは飛び上がった。
「か、艦長・・・・」
そこまで話が大きくなっていたのかと、他人事ながらびくびくする。
そのとき、入り口に背を向けていたアスランが、ちらりと振り向いた。
ここぞとばかりに飛んできたシンの足をかわしざまに蹴りつけて、すかさず打ち込まれた腕を掴んで、あっという間に羽交い絞めにしてしまう。
「お騒がせして申し訳ありません。艦長」
そして、何事もないように。
「手合わせをしていて、つい本気になりました。移動すればよかったのですが・・・丁度、誰もいなかったものですから。すみません」
呆然としているシンの頭を掴み、一緒に下げる。
アカデミー時代、イザークとうっかり殴り合いになった時、ラスティがよく使ってくれた言い訳だ。
向こうが騒ぎを大きくしたくない場合、たいていこれで、形ばかり怒られる程度で済む。
「手合わせって、あん・・・」
「そうね」
アスランがシンの口を塞ぎ、グラディス艦長は呆れたように、しかしことさら強い調子で言った。
「次は、ちゃんと訓練場でなさい」
「はい」
「・・・・はい」
口から手を離されて、しぶしぶとそう答えたシンを解放し、アスランは大きく息をついた。
「お前、あれちゃんと片付けろよ」
そうして、シンが使っていたブースを指差して。
さすがに痛むのか、主に楯にしていた左腕をさすって。
「わかってますっ！」
疲れ切っているせいか、一度、艦長の登場ではぐらかされた怒りが続かない。
仕方がないので、酷くふらつく足とがくがくする腕で、何とか、片づけをして。
その頃にはギャラリーも散って、ルナマリアが「ちょっと凄かったわよ、アンタ」と言って去っていくと、その後にはシンとアスランだけが残されていた。
「なんでまだ居んですか、あんた」
入り口の壁にもたれかかり、腕を組んでこちらを見ている視線が、もの凄く居心地悪い。
「いや・・・」
アスランは、ゆっくりと歩み寄ると、シンの手元を覗き込んだ。
「それ、まだ弾残ってるだろう」
「腕なんかもう上がんないですよ」
実は、ほとんど意地だけで動いている有様だ。
疲労と打ち身。
でも、それだけ。
シンは本気だったのに。
こいつは。
「貸せ」
アスランはシンの手から弾の残った銃を取り上げた。
ターゲットに向けて、残弾を撃ち尽くす。
確実に、描かれた急所に当て、最後に一発だけ、ターゲットの肩を打ち抜く軌道に、外した。
わざとだと、わかった。
最後の一発、これだけが、この人の戦い方なのだと、わかった。
「本当に、こんなことばかり上手くても、何の役にも立たない・・・」
いつか、ミネルバの甲板で同じような台詞を聞いた。
あの後、この人は何と言ったのだったか。
でも。
「強くなきゃ守れないでしょう！」
強くなければ。力がなければ、守れない。
でも。
強くても。
今、俺、あの子。
守れない。
急にうつむいたシンに銃を返し、アスランは、低く落とした声で言った。
「お前がさっき・・・本当に殴りたかったのは、自分自身だろう」
「・・・っ！」
そう、だ。
艦を守っても。
オーブの空母を落としても。
こんな力、いくらあっても。
今、苦しんでいるあの子は救えない。
あの子の命は、守れない。
そんな自分に腹が立って。
何もできないのが、悔しくて。
「・・・・何もできないのは、辛いよな」
呟くような、アスランの声。
ああホントに、なんでこいつは何でも知ってるような顔して。
景気の悪い、顔して。
「なんでわかんですか」
低い唸りに答えたのは、酷く苦しそうな声だった。
「俺も、そうだった。・・・いや、今でも、そうだから」
シンの持ったままの銃に指を伸ばし、その先で銃口をなぞり。
苦しい、苦しい声で。
「何が正しいのか、わからないんだ」
「なんですかそれ。いつも自分が正しいみたいな顔してるクセに」
偉そうに、シンに説教するくせに。
「自分が正しいでいいじゃないですか。迷ってたら守れない」
言い切ったシンを、眇められたエメラルドの瞳が覗き込む。
「・・・では、守るべきものが、その正しさの前に立ちふさがったら？」
「それごと守ればいいじゃないですか！」
勢いで出た言葉の無茶さ加減は、言ったシンでも良くわかった。
でも。
それでも。
無茶だって。
こいつが、何ぐだぐだ言ったって。
自分は間違っていないと思った。
何に邪魔されたって関係ない。
守るって、たぶんそういうことだ。
睨みつけた翠の瞳が、不意に隠れた。
手のひらが、顔の上半分を覆って。
口元は、嘲いに似た奇妙な歪みを刻んでいる。
「・・・それごとって、なにごとだよ・・・・・」
言った、声は。
酷く、ひずんで。
「うん。・・・・でも、そうだな」
泣かせたかと思ったけれど、またすぐに現れた瞳は、揺れてはいたが、決して濡れてはいなかった。
「ありがとう、シン」
「なんで、あんたに礼言われなきゃいけないんですか」
「そうだな。だいぶ痛くなってきたし・・・」
今度こそ、ちゃんと笑ったアスランは、また左腕に手を置いた。
シンも、体中の痛みを思いだして、顔を歪める。
「・・・悪かったですよ！殴りかかったりして、でも、あんただって悪いんだからな！」
何が悪いのか、シンにもよくわからないけれど。
「うん」
「もっとしゃんとしてくださいよ。あんた俺達の隊長でしょう！」
「いや、それは」
「何ですか、はっきり言ってきださい！」
「・・・・うん」
そのとき、アスランが見せた表情。
それは、取り澄ました隊長のものではなくて。
でも、どこかで見たものに似ていて。
「うん・・・・」
ああ、あれは。
ユニウスセブンが落ちたときの。
こんな、酷くはなかったけれど。
なんか、すごく。
かわいそう、な。
「だからそんな顔してないでくださいよっ！」
思わず手が出た。
シンは、いつだってそうだ。
後先考えず。
衝動が全て。
思わず手離した銃が、ごとりと床に落ちる。
抱きしめた体は、思ったよりもずっと細かった。
ああ、これも守らなくちゃ。
自然に、そう思う。
アスランの指が、シンの髪に触れた。
「ありがとう」
そこに降った吐息に混じる涙を。
シンは、見ないふりをした。