hero
また、この艦に乗ることになるとは思わなかった。
ある種の感慨と共に、アスランは与えられた機の足元に佇んだ。
深夜の格納庫。
常夜灯の赤い光だけに照らされたセイバーは、フェイズシフトが落ちているのに赤く見える。
血の、赤。
それは誰かの瞳にも似た色。
「そこで、何してるんですか」
思い描いた少年の声がそのまま聞こえ、アスランはわずかな驚きと共に振り返る。
「今の時間じゃ整備なんてできませんよ」
「ああ、わかっている」
答えた声に感情は表れず、それが少年の怒りに火をつけたようだった。
「サイテーだ、あんた。こないだはオーブで今度はザフトか」
シンの言葉は、いつもアスランに痛い。
「次会ったら、連合にいるんじゃないのか？」
アスランは、その台詞に苦く頷いた。
「・・・そうかもしれないな」
「ふざけるな、あんたには信念ってもんがないのかよ。なんのために戦ってるんだよ」
少年の憤りはよくわかる。それは、アスランが感じているものとあまり変わらないものなのだろう。
しかし、アスランにも、信念くらいならばちゃんとあるのだ。
「・・・・・平和に」
ただ、それだけなのだけれど。
「ただ、誰も戦わなくて・・・・死ななくて、良いように」
本当に、それだけなのだけれど。
「でも、どうしたらいいかわからないんだ・・・・」
それだけのことが、何故にこんなにも難しいのか。
「あんた・・・」
「だから、連合にも、ゲリラにでも手を貸すよ。それが、必要なら、な」
「ふざけるな！」
シンの怒りはもっともだ。でも。
「俺はばかだから、それしかできないんだ」
自嘲するように、そう言った人間。
アスラン・ザラという名の。
それを、英雄だと思っていた。
誰よりも優れたエースパイロットだと。
しかし、その実体はなんだ。
「あんたアタマ悪すぎだ」
奇妙な憤りがシンを満たす。
「ああ。・・・でも」
アスランは、セイバーを見上げた。これは、人殺しの機械。
「殺されたから殺して、殺したから殺されて。それで、最後はほんとに平和になるわけ、ないだろう？」
そう言った少女が、やはり言った言葉だ。
これはまた、人を殺す。
この機械を使って、自分は何ができるだろう。
徒に人を殺すのではなく。
「それだけは、わかっているからな」
それだけは、してはいけないことだから。
「殺されたことがないから、そんなことが言えるんだ」
ああ、この少年も被害者なのだ。
きっと、世界中が被害者で・・・・そして、
「殺されたさ。母も、友達も・・・・父も」
パトリック・ザラが、戦争の末期に部下に殺害されたことは知っている。
その妻が、ユニウスセブンで死んだことも。
それが、目の前の青年の父母だという意識がなかったシンは、一瞬、言葉を失った。
しかし。
「俺も殺した」
そう言ったアスランは、シンをまっすぐに見て言ったのだった。
「そうだな、オーブ占領戦にも参加していたから、お前の家族を殺したのは、俺かもしれないな・・・」
頭に、血が上った。
千切れた妹の手。
よじれた母の首。
つぶれた父の体。
あの、血と炎。
「う、あぁーーー」
打ち下ろした拳は、確かな手ごたえをシンに伝え、少年の理性を崩壊させた。
激情が、体の隅々までを支配する。
拳が「それ」に当たるたび、聞こえるうめきが力を加速させる。
それは既に憎しみですらなく。
自分のすべてが、ただ、相手を壊す力になっていく。
あの時の自分に、そっくりだ。
少年の力を避けることもできないまま、アスランはどこか、ぼんやりと思った。
二コルを殺されて、キラに振り下ろした憎しみの拳。
いや、憎いとか、殺したいとか、もはやそんな感情ですらなく。
ただ、打ち下ろさずにはいられない力。
それだけのものになってしまった、自分。
それだけのものになってしまった、彼。
過去は変えられないけれど。
今、なら。
床に転がり、打たれるままだったアスランの腕が不意に上がり、シンの拳を掴んで受け止めた。
すかさず振り上げられたもう片方の腕を避け、バランスを崩した体を引き倒す。
「・・・っ」
側に転がった体が、軍人の俊敏さで起き上がる一瞬、深淵の炎を思わせる瞳に、アスランは叩きつけるように、言った。
「俺を殺せば、お前の傷は癒えるのか」
「ああそうだ！」
返った答えは明快で、打ち付けられた拳とともに、アスランを悲しくさせた。
癒えるわけがない。
それさえもわからなくなっている少年が、悲しい。
「そうか。でも俺は、殺されるわけにはいかないんだ」
声が涸れて、鉄の味のする唾を飲み込む。少し吐き気がしたが、かまわなかった。
「俺が殺されたら、きっと俺の友達が、お前のように悲しむから」
悲しみが、憎しみに変わる瞬間はどこにあるのだろう。
「もう一度、聞く。俺を殺せば、お前の傷は癒えるのか」
見上げた瞳は、激情の赤い色。
それでも、もう拳は落ちてこなかった。
「・・・・すまなかった」
「なんで、あんたが謝るんだ」
殴ったのは、自分だ。
「あそこで、あんなことを言うべきじゃなかった」
オーブでのことを、言っているのだとわかった。
少しづつ、少しづつ自分が戻ってくる。
頬を腫らした人の、静かな瞳が、シンを見上げている。
それを、きれいだと思った。
何故、彼を殴っていたのか、わからなくなってきた。
何故？ああ、だから彼は謝ったのか
シンは、もう一度だけ、きつく拳を握った。
「あんたが乗ってたＭＳ、何色ですか？」
青い空を遮った、あの、忘れられない色は。
「ＺＧＭＦ-Ｘ０９Ａ、ジャスティスを知っているか？」
それならば、ライブラリで見たことがある。
「あの、赤い・・・」
「ああ」
また俺のは赤いんだ、と、座り込んだままセイバーを見上げるアスランを、シンの赤い瞳は映していない。
「俺の家族を殺したのは、白い・・・」
「ダガーか」
「違う。もっと大きい」
「フリーダムか・・・・」
大きく息をついて、アスランは瞑目した。
キラ。
俺たちは、どうしたらいいんだろう。
「知ってるんですか」
「知っている・・・俺の親友が乗っていた」
シンの瞳がきつくなる。
それを、横目に見て。
「俺も、あいつに仲間を殺されたよ」
その目が、大きく見開かれるのを、辛く眺めた。
「あいつを殺してもニコルたちは戻らないし、あいつを殺したと思ったとき、俺は死にたいほど、悲しくて苦しかった」
それは、何よりも。もしかしたら父や母の死よりも、辛い記憶。
「泣き虫で甘ったれで、優秀なのにいい加減で・・・でも優しい、いいやつなんだ」
思い出す、変わらない笑顔。それから、最強の白いモビルスーツ。
「あいつがしたことを、俺は弁解できないけれど」
本当は言いたい。彼は、オーブを、その理念を、そして世界を守るために、命がけで戦っていたのだと。
しかし、それを目の当たりにしていないシンに、そんな言葉が届くとは思えない。
だから、代わりに。
「俺やお前が、自分が殺した相手に弁解できないように、な」
ダメ押しは、年少の兵士を打ちのめしたようだった。
側にあったワークスタンドに縋り、立ち上がったアスランはシンに手を貸した。
掴まられると肩が痛んだが、表には出さなかった。
「さっきの、殺されたから殺して、殺したから殺されて、それで、最後はほんとに平和になるわけ、ないって」
アスランの腕を掴んだままシンが呟き、アスランは軽く頷く。
「ならないだろう、実際」
「じゃあ、どうしたらいいんですか」
「わからない。だから、探している」
この態度が、彼に嫌われる原因なのだろうと嘆息すると、案の定、シンの硬い声が、問い掛けた。
「あなたに、何が、できるんですか」
「聞くなよ・・・」
無力な呟きに、先ほど彼が自分をばかだと言ったときに感じた、奇妙な憤りがよみがえる。
この人、は。
英雄なんかじゃない。
ただの無力な人間で。
それでも、何か、ひどく無茶なことに挑んでいる。
それが何なのか、おぼろげにしかわからないシンは、憤ることしかできないけれど。
おぼろげだけれど、わかってしまったから。
少し、泣きたい。
顔を上げることができなくて、その人の腕を握り締めたままうつむいていると。
「とりあえず」
呟きとともに、何かが飛んできた。
そうとしか、思えなかった。
腹を殴られたのだとわかったのは吹っ飛ばされた後で、息ができなくてうずくまる。
すると今度は背中に衝撃があって、息ができるようになった代わりに起き上がれなくなった。
「とりあえず、やられっぱなしは性にあわないから」
上から聞こえた声は、荒っぽい行動の割には静かで。
何故だか、腹は立たなかった。
彼の動きが、あまりにも鮮やかだったからかもしれない。
「殴り方、上手いですね」
足を退けてもらい、立ち上がる。
あんな衝撃だったのに、痛いことは痛いが、普通に動けた。
「お前が下手なんだ・・・顔殴るなよ。喧嘩したのがばれるだろうが」
「喧嘩・・って」
あれを、喧嘩というのだろうか？
それは最後にはやり返されたけれど、あんなに一方的に殴ったのに？
「俺はいいけど、お前がまずいだろ。一応俺のが上官なんだから」
何度も拳を打ち込んだ、胸のあたりを軽くさすりながら、血の色の見える口の端を舐める。
その仕草に、彼に与えたダメージを思った。
「あの、医務室・・・」
冷静になってみれば、赤服のシンが本気で殴ってしまったのだ。
さっきの動きは素晴らしかったが、今は肩を抑えてワークスタンドに寄りかかるようにしている。
「だから、人の話を聞けよ、お前は」
喧嘩がばれるから行かない、ということらしい。
「でも、肋骨とかイってないですか？」
「感触でわかれ。まあ、ヒビくらいは入っているかもしれないが・・・」
たいしたことじゃない。
普通に言って。
もう一度、セイバーを見上げてから、少しおぼつかない足取りでそこを去ろうとするアスランに、シンは慌てて追いついた。
「でも、怪我とかしてたら、戦闘にもさわります」
「自分でやっておいて、なんだよそれは」
目に見えてしゅんとしたシンの頭を軽く叩き、アスランはちょっと笑った。
ああ、なんだか可愛いなこいつ。
「自分の体だ、自分でわかる。一晩寝れば治るさ」
何を根拠に言っているのかはわからないが、自信満々なその態度に、シンは思わず納得させられた。
「じゃあ、お詫びに手当てさせてください」
「自分でやるから。・・・何か、前にもこんなことがあったな」
「殴られるの好きなんですか？」
「そんなことあるわけないだろ。ああ、カガリだ」
「アスハ！？」
「あいつのがグレードは上だな。銃だったから」
「銃！！？？」
驚くシンがおかしくて、笑って、次いで襲った痛みに顔をしかめて。
そんな表情の変化に、シンは更に驚いた。
目を、魅かれた。
いつの間にか、アスランの使う部屋の前に来ていて、「入らないのか？」と聞かれて駆け込んで。
その夜、二人で話したことは、シンの生き方に、大きな変化をもたらした。
先の大戦の英雄が、戦うもの。
それと、自分も戦いたいと。
そう、心が決まるのは、もう少し先の話だったけれど。
それでもそのとき初めて、シンはアスラン・ザラという人間を見た。
それが、始まり。