花酒
『家主』が帰ってくるのを、シンだって、それなりに楽しみにはしていた。
そりゃあ、大好きなアスランさんと二人っきりは嬉しいけど。
でも、律儀なアスランは、彼がいないとさせてくれないし。
それに、もっと律儀な家主は、けっこうお土産なんかも買ってきてくれる。
特に、今回のように地球へ出かけた時などは。
目の前で繰り広げられる、濃厚な『ただいま、おかえり』のキスをスルー・・・し損なって、シンは、がつんとドアを殴った。
まだ玄関の外だ。
羞恥心ってもんがないのかプラント生まれは。
「妬くな、小僧。俺だって久しぶりなんだ」
「俺だってしてませんよ！」
「シンは偉いからな」
「褒められてる気ィしねー！」
ぎゃんぎゃん喚くシンの頭をひとつ撫でてから、イザークは鞄を押し付けた。
仕方なく受け取ったシンは、それを引っ掴んで無理やりにドアを閉める。
まだいちゃいちゃしている二人を、中に押し込んで、だ。
だってここは、三人の、家だから。
シンだって、そのくらいわかっているのだ。
「メシ食いました？」
「ああ、途中で食ってきた」
「着替えこんだけですか？」
「軍服の換えは本部でクリーニングに出したからな、あちらで受け取る」
すっかり一家の主夫と化したシンが、荷物を片付けようと鞄を開けると、横からアスランが顔を出し、勝手に手まで出してくる。
「土産あるか？」
「勝手に漁るなアスラン！」
「なんでシンはいいのに俺はダメなんだよ。洗濯するのもたぶん俺だぞ！」
礼儀と常識を重んじるアスランは、しかしイザークには欠片の遠慮も示さない。
それがシンには、ちょっと、悔しい。
「出したもの洗え！引っ掻き回すな！」
でも、こんな人たちがプラント守ってたんだなぁと、シンは時々、自分を棚に上げて遠くなる時がある。
いいんだけどさ。
傍で見てる分には、面白いから。
そう思いながら、ずるずると洗濯物を引きずり出していると、中に手を突っ込んだイザークが、その中に何かを紛れ込ませた。
それを敏感に察したアスランが、イザークの腕を掴み上げて。
「何だそれ」
「酒だ！」
あ、上手い。
シンはちょっと感心した。
イザークが掴んでいたのは、確かに彼が好きそうな、民族色あふれるラベルの酒瓶で。
しかし、シンの持った洗濯物の中にも、確かに何か紛れ込んでいる。
ちらりとそれを見て、イザークの行動に納得して。
「飲ませてやるから離せ、浅ましい。・・・・シン、それを皿に出してくれ」
「え、いいの？」
「それって何だ？」
「貴様はグラスと氷を持って来い！」
イザークもだいぶ酒は強い方だが、任務中に飲むことはあまりない。
だから、とでも言うのか、家では食事と一緒に飲んではいたのだが。
「これ、泡盛ですよね」
「よく知ってるな。・・・・ああ、貴様はオーブの出か」
「オーブの酒か？お前東アジア共和国行くって言って・・・・ああ、そうか」
オーブ人のほとんどが、東アジア共和国からの移民と、元からそこにいた住民のミックスだ。
もと居た場所の文化も、根強く残っている。
「俺も飲んでいい？」
「仕方ないな」
アスランとイザークが飲んでいる時は、遠慮をしていることが多いシンだったが、今日は懐かしい言葉で書かれたラベルを見て、興味をそそられたらしい。
「本場ものの、しかもひとつの島でしか作られていない特別品だぞ」
「ふうん。・・・・ん、濃いな」
もう飲んでいるアスランが、それを口の中で遊ばせながらつぶやいて。
それを眺めながらそろそろと一口含み、シンも思わず声を上げた。
「うわきっつ」
アルコールで、口の中がじんじんする。
「一気に飲むな。６０度だ」
「泡盛ってそんな濃かったっけ？」
とはいえ、シンだってオーブにいたのは子供の頃だ。酒のことなど、正確に覚えているわけはないのだけれど。
「だから言っただろう、これは特別だ」
「はいはい」
それでも、なんとなく懐かしい気がして、ゆっくりと透明な液体を舐めた。
「味が濃いな。結構いける」
「そっちの濃い言ってたんですかあんた・・・」
「ん？」
アスランは底なしのザルだ。アルコールの濃い薄いは、問題ではないらしい。
それでも味が気に入ったようで、さっさと一杯目を空けてしまって。
「貴様、もう少し大事に飲まんか」
「ああ、すまない。・・・・そっちは？」
イザークにお代わりを注いでもらいながら、シンが出してきた皿を指差した。
「これか？」
肴にと置かれた皿には、イザークのもうひとつの土産が出されている。
それは、細切りにされた肌色の物体で、口に入れると、塩味でコリコリしていた。
「豚肉の加工品だ」
物は言いようだなぁとシンは思ったけれど、口にはせずに氷を舐めた。
俺には、ちょっと薄めたくらいが飲みやすくっていいな。
イザークがアスランから隠しパッケージには、大きく『ミミガー』という商品名と、豚の顔が書かれていた。
たぶん。
いや絶対。
アスランが得意でない類の食べ物だろう。
それでも正体が知れなければ大丈夫なのか、アスランは平気でそれを噛み、「軟骨か？」などと言っている。
間違っては、いない。
シンも、それを食べるのは初めてだ。
「はあ、軟骨・・・ですね」
そういうことにしておいた。
同じ文化のものだからか、それを食べて酒を含むと、なんだか飲み易くなる気がする。
だんだん、美味しさがわかってくる。
シンはいつの間にか、グラスを空けてしまっていた。
「ああシン、もっと飲むか？」
それに気付いたアスランが、イザークの側から酒瓶を取り上げて。
「おい、小僧にあまり飲ませるなよ」
「いーじゃないですかぁ」
既に少し、ろれつの怪しい少年に、しかしアスランは気にせずに酌をする。
そうしてイザークに向き直り。
「お前は？」
「なんで俺には注ぐ前に聞く？」
「だってお前、俺より弱いから」
「小僧のが弱いだろうが！」
「弱くないれふ！」
「もう飲むな貴様！」
イザークはシンからグラスをひったくり、一発蹴ると、少年はそのまま床に突っ伏してしまった。
そしてそのまま、起き上がる気配が無い。
「おい、シーン」
「貴様のせいだぞ・・・」
早々に潰れてしまった少年を見下ろして、イザークはひとつ、ため息をついた。
「本当に弱いんだな」
潰した張本人のアスランは、ちいさく笑って少年の髪をかき回している。
「別に弱い方でもないだろう・・・・」
だいぶ減ってしまった酒瓶を恨めしげに見やると、イザークは、シンから奪い取った方のグラスを傾けた。
注いだばかりだから、氷の溶けたイザークのものよりも、少し、濃い。
「間接キス」
それを見ていたアスランが、ぼそりと呟く。
そのじとりとした視線に、イザークはニヤリと笑った。
「なんだ、嫉妬か？」
「そんなわけないだろ」
吐き捨てたアスランは、その口で、イザークの唇にかぶりつく。
そして、そのまま。
どこか、花開くような香りを残す酒の味を、互いの口腔で味わって。
「ん・・・・美味い」
「ああ、そうだな」
ぺろり、ぺろりと舐められて、それを避けるようにグラスへと逃げる、アスランの唇。
その色を目で追っていたイザークは、それが軽く酒を含むと、眠りこけた少年の方へと降りていくのを見咎めて、嫌そうな声を上げた。
「貴様な」
「なんだ、嫉妬か？」
「するか！」
「なら、いいだろ」
ついさっきと真逆の会話に打ち勝って、アスランは眠る少年の唇に、やさしいやさしいキスをした。
それは、母親が子供にするものよりは濃厚で。
しかし、恋人のそれよりも、やわらかい。
その光景を、憮然と見下ろしていたイザークは、ふと思いついて、傍らの皿に手を伸ばした。
「そうだ。・・・これだがな」
「うん？」
寝た子へのキスに満足したのか、アスランも同じように、その「豚の軟骨」をつまみ上げて口に放り込み。
それから、泡盛をひと口。
「豚の耳だ」
「ぶっ！」
「言っておくがな、食べ物と酒を粗末にするなよ」
ニヤニヤ笑うイザークのセリフに、アスランは手にしたグラスの中身を、一気に口の中に流し込んだ。
「なっ、無駄にするなと言っただろうが！」
「飲んだ！だからいいだろ！」
「このバカ！」
ぎゃあぎゃあと、そのままグラスと酒瓶の奪い合いを始めた二人の間で。
少年は、すやすやと気持ち良さそうに眠っている。
その顔は、花の口付けでも受けたかのように、幸せそうなものだった。