ごはん戦争
がこん、と、不意に視界が明るくなった。
なんだなんだと顔を上げれば、コックピットハッチが開いていて、さすがにそろそろ見慣れてきた、少年の顔がのぞいていた。
「・・・何だ？」
「なんだじゃないですよ！もう食堂閉まっちゃいますよ！」
「もう、そんな時間か？」
作業に没頭していて気が付かなかった、そんなことを思いながら手元のモニタに視線を戻すと、頭上に殺気。
特に慌てず、落とされた拳を受け止める。
「何なんだ」
「だから！なんだじゃナイでしょう！」
彼は涙目になっていた。
だから、一体何なんだ。
「一緒にごはん食べるって約束したじゃないですか！」
「・・・・」
確かに。
そんな約束はしていた、と、頭の中２／３ほどで、モニタに映し出されるデータを読みながらアスランは思った。
あ、予想外のバグ発見。
対策のためにそこでスクロールを止め、修正データを埋め込みながら、アスランはモニタの端のデジタル時計に目をやった。
「すまない、忘れていた。確かにもう食堂が閉まるな。明日にしよう、シン」
「明日明日明日って！もう何回目ですか！」
「・・・・・・」
ええと。
頭の中で指を折る。
データと違って、実際の行動を計る手段はアナクロだ。
「５回、だな」
「数えてんじゃねーー！」
がんがんがん、と、シンはセイバーのフレームを叩いた。
そんなことをしても、痛いだけだろうに、と、アスランはその手を掴んで止めた。
「手を壊したらどうするんだ。おまえはパイロットなんだぞ」
「だから！そおじゃないだろー！」
ぶんっ、っと、その手を振り払い。
そうしてシンは、まるで猿のようにセイバーのコックピットから滑り降りて。
「わーーーー！！」
と、意味不明の叫び声を上げながら、格納庫を飛び出して行ってしまった。
「・・・・・何しに来たんだ、あいつは」
そう呟いたアスランは、また、作業に戻ろうとして。
ピピ、と、コールが来て、またそれを中断させられた。
「えー、その、何だ、ザラ隊長」
モニタの向こう、なんだか背中がイヤな感じにムズ痒くなるような呼称で呼んだのは、エイブス整備班班長だった。
「はい」
素直に答えるアスランは、整備士やエンジニアには敬意を払っている。
自分の機体を預けている人間になら、なおさらだ。
そんな班長は、何やら微妙な顔をして、何やらやたらと言いにくそうに、ひとつ、似合わない咳払いなどしてみせて。
「後は我々でやるから。彼を追いかけてやってくれないか？」
「何故ですか？」
間髪入れずに返った答えに、エイブス班長は頭を抱えた。
なんで俺が、という気持ちでいっぱいだった。
「いや、だから・・・・」
「たいちょー、シン泣かさないでくださいよ」
助け船は、部下から来た。
「そーそー、後でアタられる俺たちの身にもなってくださいよー」
エイブスの後ろで、二人の年若い整備士が、やいのやいのと声を上げている。
「まあ、何だな」
部下に負けてはいられない、と、エイブスはもうひとつ、咳払いをして。
「部下の管理も、あんたの仕事じゃないか？」
そうそう。
後ろで二人が頷いている。
その理屈は、アスランにもわかった。
それはもっともだ、と、思った。
「わかりました。すみませんが、後はお願いします」
「ああ」
ほっとした様子のエイブス班長。
何故だか呆れた顔の整備士たち。
彼らにログだけ提示して見せ、アスランはひとつ寄り道をしてから、とことことシンの部屋へと向かっていった。
シンは部屋にはいなかった。
同室のレイに聞くと、まだ戻っていないという。
部屋にも格納庫にもいなければ、どこにいるか。
だいたい想像はついたので、礼を言って立ち去ろうとして。
「レイもひとつ、いるか？」
ふと思いついて振り返ると、丁重にお断りされてしまった。
「食事はもう済ませましたので」
「そうか」
特に気にした様子もなく、じゃあ、と出ていく隊長を見て、レイは思った。
ギル、確かにアレは扱いやすそうです。
でも、シンが少し、かわいそうです。
シンの姿は、レストルームで見つかった。
ミルクと砂糖の増量ボタンを、目一杯押したコーヒーを飲みながら、何かをぶつぶつ言っている。
「わかってたけどさ、でも５回ってさ、それヒトとしてどうなんだよ・・・」
「シン」
「うわぁっ！」
いきなり後ろから声をかけられて、シンは思い切り飛び上がった。
持っていたコーヒーをこぼさなかったのは、ほとんど奇跡だ。
そんなことは意にも介さず、アスランはシンの前に、持っていたトレイを突きだして見せた。
「食事はしたか？」
「い、いいえ」
「なら、食べろ」
「・・・・・」
トレイの上には、妙な形のおにぎりが５つ。
シンの鼓動が高鳴った。
「これ、アスランさんが・・・？」
作ったの？と聞くと、まさかとあっさり返された。
ああそうですか。
「最近、時間を外すことが多くてな。頼んで作り置いてもらっているんだ」
「・・・俺と、約束してたのに・・・・？」
「・・・・・」
アスランが、どこかに視線を外す。
忘れてたな、ホントに。
「本場の人間が作ったものほど、おいしくはないがな」
ごまかすように、トレイが突き出される。
シンはそれを、有り難く受け取る。
『アスランさんと一緒にごはん』が、思いがけないかたちで実現されて、やっぱりそれは、凄く嬉しい。
「確かに形ヘンですけど、具さえ美味けりゃ美味いでしょ、おにぎりなんて」
「・・・作ってもらっておいて何なんだが、そうでもない」
「・・・・・ん」
最初の一口を飲み込みながら、シンは思わず頷いていた。
ていうか。
「ん、んんー」
「こぼすなよ」
「ん、っくん。・・・こぼしてないですよ！」
やたらとお大きなおにぎりは、握りが甘くてもろかった。
昔、母さんが作ってくれたのはこう、もっと、なんていうか。
「力の加減がわからないらしいんだ」
そい言いながらも、アスランは器用にもろいおにぎりを口に運ぶ。
どうやらコツは、崩れる前に素早く口に入れてしまうことらしかった。
「なら、サンドイッチとかにしてもらえばいいのに・・・」
甘いコーヒーを口に運ぶ。
味噌汁飲みたいな、と、少しだけ思った。
「腹にたまらないだろ、あれは」
「はあ、まあ、そうですね」
米食に慣れた人間の物言いを、少し不思議に思いながら。
シンはもうひとつ、飯の塊に手を伸ばした。
「・・・・これで、約束は果たしたからな」
最後の一つをシンに譲り、アスランは買ってきた飲み物を飲み干した。
いつもはコーヒーなのに、何故かココアだ。
おにぎりにココア。このヒトの味覚がわからない。
「え、あ、そうですけど」
シンは慌てた。
『一緒にごはん』は嬉しいけれど。
でも、思春期少年の志は、当然もっと高いのだ。
「こ、こんどはちゃんと！食堂で！！」
「でもな・・・俺、ここのところ夕飯はいつも間に合わないから」
明後日を向いたアスランは、でもすぐにいいことを思いついたように、シンを見て。
「ああ、朝飯ならいいぞ」
「アンタ朝飯１分で食うだろ！」
即座にシンに却下された。
あ、なんかむくれてる。
自業自得だったけれど、シンは、もっと慌ててしまった。
「じ、じゃあ！」
脳味噌フル回転。
アカデミーの試験だってこんなに頭使わなかった俺！
「明日！夕飯！！俺が本場のおにぎり作ってあげますから！」
口をついて出た提案は、案外悪くないように思えた。
「・・・・できるのか？」
不審げなアスランの様子がムカつくけれど。
「それっくらいできますよ！聞いて驚け、卵焼きだって作れんですから！」
マユにねだられたことがあるからな！
「・・・それは凄いな」
でも、目を丸くしたアスランが、ちょっと子供っぽくて可愛かったのと。
「じゃあ、待ってるよ」
そう言ってもらったのが嬉しくて。
「任せてください！」
何よりも、明日も一緒にご飯が食べられるのが嬉しくて。シンは胸を躍らせた。
次の晩、シンが作ったのは。
昨日食べたのよりも、ちょっとだけマシなおにぎりと。
それから、甘い卵焼き。
アスランはそれを、おいしいと言って食べてくれた。
たぶん、一歩、前進だった。