朝の客
目が覚めたとき、隣にアスランがいなかった。
ということは、だ。
シンはため息をついて寝返りをうちながら思った。
あのヒト、完徹だな。
まったくもう。
寝汚いアスランが、シンより先に起きるなんでありえない。
寝返りをうって、目の前に来た時計をのぞき込んだ。
午前８時半。
でも、今日は休日だ。
ドアの向こうからは、人の気配と、そこはかとなくいい匂い。
きっと、シンの朝食を作ってから寝るつもりなんだろう。
こういうときは、ついでに自分の分も作って食べるから、ちょっと安心なんだけど。
ただの目玉焼きより、ベーコンエッグがいいなぁ。
つらつらとそんなことを思いながら、ごろごろとベッドを転がって、起きるタイミングを見計らう。
もうちょっと寝てたいけど、あんまり寝坊すると、アスランのこと、寝ぼすけだってからかえなくなるよな。
それに、せっかくの休日、アスランが寝てしまうと一緒にいる時間が短くなる。
なら、朝ごはんくらい一緒に食べたいし・・・
そう思いながら更に少しごろごろして。
よし、起きるぞ、と気合いを入れたとき、リンゴン、と玄関チャイムの音がした。
部屋のドア越しに、それに応えるアスランの声。
宅配便かな。
シンはむっくり起きあがる。
アスランがまた何か、変なもの注文したかなぁ。
パジャマのままだし、宅配屋が帰ってから出ようとベッドに座って待っていると、人の話し声が、思ったよりも、長く続いて。
ええっと。
シンは、パジャマのズボンを脱ぎ捨てて、ジーンズに足を突っ込んだ。
ドアの向こうの声は、続いている。
アスランの、滅多に聞けない弾んだ声。
上のＴシャツは、そのまんまでもいいか。
何故だかヤケクソになりながら、シンは、居間へと続くドアを開けた。
「お客さん・・・？」
「ああ、シン」
居間の向こうの玄関には、大人の人が二人、立っていた。
男の人と女の人、たぶん夫婦だ。
「同居人のシン・アスカです」
アスランが、シンを紹介する。
同居人かよ、と思いながら、シンは寝癖をなでつけた。
「・・・こんにちは」
じゃなかった、おはようございますな時間だっけ。
そんな投げやりなシンの様子に関わらず、夫婦はにこやかなままだった。
「こんにちは」
「起こしちゃったかしら、ごめんなさいね」
男の人は、そのっま挨拶を返し、女の人は少し申し訳なさそうに笑う。
たぶん、そこそこな年なんだろうけど、ちょっと可愛い人だな、とシンは思った。
子供じみた警戒心が、ほろほろと溶けていく。
「シン、ヤマトご夫妻だ。子供の頃、とてもお世話になったんだ」
「・・・・・」
なんとなく引っかかった単語があった気がするけれど、なし崩された警戒心が戻ってこない。
ていうか、何がどう引っかかったのかよくわからない。
何だっけ？
シンが一人、首を傾げているうちに、「長居してしまったね」と、二人が帰るそぶりを見せた。
「だから、コーヒーくらい飲んでいってください」
それをアスランが引き留める。
確かに、お客さんと玄関で立ち話をするのは、変なところで礼儀正しいアスランらしくはなかった。
「いや、実は午後から早速出勤でね」
「無茶なシフトを組みますね」
「今は、仕事があるだけ有り難いさ」
男の人が、やんわりと笑う。
女の人が、ほんとにね、と頷く。
感じのいい人たちだな、と、シンは思った。
そうしてそれから気がついた。
アスランの表情が、柔らかい。
「何かあったら、声をかけてください」
そう言う声が、柔らかい。
「ああ、よろしく頼むよ」
応えた男の人が、ひとつ言葉を切ってから、続けた。
「君も、な」
「あなたは、私たちにとっても子供みたいなものなんだから」
女の人が、少し乗り出す。
声の軽さの割に、真剣な声だった。
「・・・ありがとうございます」
こくりと頷いてはにかんだアスランは、なんだか、凄く子供っぽく見えた。
「アンタなんだか、普通の人みたいだった」
お客さんが帰って、やっと朝食になって。
少し冷めたベーコンエッグを、ぺろりと飲み込んでシンは言った。
「なんだか俺が普通じゃないみたいな言い方だな」
「普通じゃないだろ・・・」
つぶやきながら、二枚目のトーストにかぶりつく。
こっちはあの後焼いたから、まだ、少しあたたかい。
「モルゲンレーテが、近くに試験場を作っただろう」
コーヒーのお代わりをしに立ったアスランが、不意に言った。
「てゆか、設計したのアンタだろ」
「俺は建築設計は専門外だ。試験施設の基本設計だけだぞ」
「誰が建物って言いましたか」
微妙なところでかみ合わないのはいつものことだ。
俺も、とマグカップを持ち上げると、アスランはサーバーに残ったコーヒーを、全部シンのカップに注いでしまった。
「小父さんと小母さん、そこに転勤になったんで、引っ越してきたんだってさ」
「子供の頃世話んなったって、それどこでの話ですか」
あふれそうになったコーヒーをすする。
ミルクを入れる余地のなかったそれは、夜中に入れた残りなのか、ちょっと煮詰まっていて、苦かった。
「うん、月だよ」
あー、なんかヤなカンジ。
マグカップを置いて、再びトーストに取りかかったシンに、アスランはさらりと言った。
「キラの、お父さんとお母さんなんだ」
キラ・ヤマトか・・・
トーストをくわえたまま、シンはがっくりとうなだれた。
オーブでは、けっこうよくある姓だから、あんまり強く引っかからなかったけど。
そういや、アイツそんな名前だったっけ。
「フリーダム、今どこにいんの」
残ったトーストを飲み込んで、苦いコーヒーをすする。
アスランは自分のトーストの最後のひとかけらを飲み込んでから、眉をひそめて注意した。
「フリーダムじゃないだろ。・・・たぶん、アプリリウスなんじゃないかな」
それでも律儀に答えるのが、アスランのいいところだ。
「よくプラント行けるよな」
「おい・・・キラがいなかったら、今頃プラントはなくなっていたかも知れないんだぞ」
それは、アンタもだろ。
そう言おうとして、シンはやめた。
その辺は、この人にとっては地雷だから、わざわざ踏みに行くこともない。
「ふーん」
そうか。
アイツにも、親がいたのか。
ちらり、と、アスランの顔を伺う。
どこか、遠くを見る表情は、やっぱり柔らかくて。
この人のこんな顔、俺、あんまり見たことない。
「あそこで仕事するんなら、アンタと一緒？」
なんとなくムカついて聞いてみると、アスランはふるりと首を振った。
「いや、小父さんはプログラミングが専門だし、小母さんはサイバネティクスの方だし」
「あそこで何すんだモルゲンレーテ・・・・」
あまりにバラバラな分野にあきれながら、シンは少し、上目遣いでテーブルの向こうのアスランをのぞき込んだ。
「アスランさん」
そうして、なんだか気になってしまったことを、聞いてみた。
「あの人たちのこと、好き？」
アスランは、少し驚いたような顔をしてから。
滅多にない察しの良さを発揮して、答えてくれた。
「・・・・お前とは、違う意味でな」
そう言って、キスをしてくれた。
なら、いいやとシンは思った。
キスは朝ごはんの味で、とってもアスランの味だった。