朝ごはん
シた翌朝の朝食は、シンが作る。
別に、それくらいのことが翌日にまで響くアスランではないけれど、それでもやっぱり、シンが作る。
アスランがプラントに来て、ザフトに残ったシンと、二人で暮らし始めてから。
いや、それよりも前。シンとアスランが、二人で朝を迎えるようになってからの、習慣だ。
だから今日もシンは、デニムのエプロンで武装して、冷蔵庫から卵をパックごと引っ張り出していた。
「アスランさーん！目玉焼きとスクランブルどっちがいいですか？」
「お前の好きな方でいいぞ」
「作り甲斐ないなぁ・・・ったく、ハムがあるからハムエッグでいいですね！」
リビングテーブルに、珍しくだらりと身を預けながら、アスランはフライパンにハムを放り込むシンを、機嫌良く眺めていた。
意外と長い指から、薄切りのハムが離れると、じゅうっという良い音がして。
フライパンの柄を握った腕が揺すられると、尖った肘の動きに目を奪われた。
すかさず取られた卵が、フライパンの縁にぶつかって。綺麗に割れて、中身を落とす。
初めの頃は、必ず殻が混入したものだったけれど、今は欠片も落とさずに、薄い殻はダストボックスに放り込まれて。
二つ目の卵を取った指が、器用に動いて、もうひとつ。
「俺は、ふたつでいい」
三個目の卵を割ろうとしたシンにそう声を掛けると。
「いっぺんに焼いちゃっていいでしょ？俺は３個食いますよ」
「入りきるのか？そのフライパン」
「入ります。こないだだって作ったんだから」
「そうだったか？」
「そうなんです！」
シンの指が、三個目、四個目の卵を割っていく。
閃くような指の動き。
五個目を割って、蓋をして。
フライ返しを持ったまま、上から睨むようにその蓋を見ている、赤い瞳。
その時、トースターが軽い音を立てて。
シンが、ふい、と振り向いた。
「アスランさん、トースト、出して」
まっすぐにアスランを映す、赤い瞳。
「え？」
「えじゃないですよ。もしかしてまだ頭寝てます？」
ぶつぶつ言いながら、シンはアスランの前にあったトースターから、程よく焼けたトーストを皿に移した。
フライ返しを持っているのに、何故だか熱そうに端をつまんで。
きゅっと指に力が入ると、関節が浮いて。
「あち」
ちいさく呟くと、少し、子供っぽい顔になる。
その顔に、アスランはふっと、我に返った。
「・・・・・」
ぼっ、と、アスランの頬に朱が上る。
ワナワナと、思わず握り締めた拳が震える。
「あ、焦げちゃう」
そう言って踵を返したシンの後ろ頭は、座っているアスランには、少し、高い位置。
それでも。
思いのままに、ぐい、と伸ばした手は、難なく届いた。
ドカッ！
「ってーーー！！何すんですか！！！」
いきなり殴られたシンは、涙目になってアスランを振り返った。
「何なんだよアンタは！何が不満なワケ！？ってかすぐに暴力に訴えるのやめてくださいよ！ああもう俺ぜったいアンタより強くなってやるからな！覚えてろよこのやろーーー！！」
きゃんきゃん喚くシンの、涙の浮かんだ赤い瞳を、アスランは意地の悪い、しかしどこかほっとしたような笑みで覗き込んだ。
何か言ってやろうと思っていたのだが、シンの情けない騒ぎっぷりに、すっかり気が殺がれた。というか、それでもう満足してしまった。
「シン、ハムが焦げる」
「誰のせいですか！」
怒鳴ったシンは、それでもフライ返しを振り上げて、フライパンの蓋を開けに行った。
ハムエッグは、程よい焦げ目で、なかなかに美味しかった。
「ってさぁ、いきなりドカ！だぜ。拳で！結構本気で！！」
シンは、前に座ったヨウランに食ってかかる勢いで、食堂のテーブルをがんがん叩いた。
目の前で、ランチの皿ががたがたと揺れて、ヨウランは慣れた仕草で、自分の皿を守ってパンをほおばる。
「本気ってお前、あの人が本気で殴ったら、お前死ぬんじゃないの？」
「本気と結構本気は違うだろ！」
「どこが違うんだよ」
「えっと・・・愛？」
「アホくせー」
ホモのノロケなんか聞いてられっか、と、投げた様子の友人は、それでもヤケのようにチキンライスをかき込むシンに、ため息混じりに声を掛けた。
「とりあえず、何で殴ったか聞いたのかよ？」
「聞いてない」
むうっと膨れた頬は、半分チキンライスで埋まっている。
握り締めたスプーンには、追加でトッピングしてもらったミートボールが、丸のままで乗っていた。
このお子様め、と、一度、目を眇めて。
「ちゃんと聞いて仲直りしろよ。あの人引きずると長いだろ」
「・・・何が、ムカつくってさ」
ごっくん、と、ちゃんと噛んだのか怪しい勢いで、口の中のものを飲み込んでから。
「あの人、俺殴ったこと何とも思ってないみたいなんだ。ケロっと笑って見送られた！ムカつくーー！！」
ああそうですか、と、ヨウランは今度こそ喚く友人を見捨てて、食べ終わった皿を持って立ち上がった。
本当に。
友人のノロケほど、うっとうしいものはない。
家に帰ると、アスランはもう先に帰っていた。
無駄な才能を無駄に浪費している彼は、ザフトに納品をしている医療機器メーカーに潜り込み、義肢開発の仕事をしている。
頭と胴体さえ無事なら、俺がなんとかしてやるとか言われた日には、殴り合いの喧嘩になったものだ。負けたけど。
「おかえり、シン。夕飯作っといたぞ」
そう、なんでもないように言われたことにムカついて。
でも、シンとお揃いのエプロンで、よいしょ、と鍋の中身を深皿にあけているアスランは、なんだかちょっと格好よくて。
お玉を持っている、長い指が、綺麗で。
大好きで。
シンは、がばりとその人に抱きついた。
「・・・・危ないぞ、鍋、まだ熱い」
「俺はまだ頭が痛いです」
「あー、その。悪かった」
謝罪の言葉は、思ったよりも簡単に出てきた。
こんな時の彼は、全然そんなこと思ってなさそうに言って、余計にシンを怒らせるものだったけれど、今日は本当に悪いと思っているような声音だった。
だから、シンも素直に。
「ねえ、なんで朝、俺のこと殴ったんですか」
彼に、ぎゅうっと抱きついたまま、そう聞いた。
「・・・・言いたくない」
それなのに、アスランはそう言って、しがみ付いたシンを引き剥がそうとする。
「なんでですか！悪いと思ってんなら理由くらい聞かせろ！」
それに抵抗して、ぎゅうぎゅうとアスランのエプロンを掴み締め、シンはわぁわぁ喚き散らす。
赤い瞳に、涙まで浮かべて。
一生懸命、アスランを見上げて。
子供のような癇癪に、子供のような、むくれ顔。
アスランの大好きな、シンの顔。
それに負けて、アスランは引き剥がそうとする力を緩めた。
「その、な」
「何ですか！」
理由を聞くまで離すもんかとばかりに、ぎゅうっとしがみ付いたシンの、こぼれるような赤い瞳をバツの悪そうに見下ろして、アスランはしぶしぶと口を開いた。
「・・・・・今日は、お前が朝食作っただろう」
「うん」
当たり前だ。
だって、シた翌朝は、いつだってシンが作ってる。
「それで・・・だな」
アスランの頬が、心なしか赤い。
「お前の、卵を割る指とか。フライパンを見下ろす横顔とか。それから・・・。だから、な」
何がだからなのか、シンにはさっぱりわからない。
「その、ちょっと。格好いい・・・というのとは少し違うか。あの、その、だから」
「だから？」
きょとんと見上げた赤い瞳。
そんな顔をすると、シンは余計に幼く見える。
「だから・・・・」
そこまで言ったアスランは、何故だか頭を抱えてしまった。
「なんで俺は、こんなガキを男前だと思ったんだ・・・・」
「え？何それ」
シンは、アスランの言ったことを反復した。
男前、だって。
ちょっと嬉しいかも。
ああ、そうだきっと。
「照れ隠しで殴った？」
「照れ隠しじゃない！腹が立ったんだ猛烈に！」
シンの推測を一蹴して、アスランはぎっとシンを睨み付けた。
「なんで俺が！こんなガキに！こんな風に惚れ直さなきゃいけないんだ！！」
わぁ。
シンは目を見張った。
緑の瞳をぎらぎらさせて、白い頬を、赤くして。
怒りに震えるアスランは、凄くすごく綺麗だった。
こんな綺麗な人が、俺のこと。
「惚れ直した？ホント？？」
「ああ！腹が立つことにな！」
飛んできた拳は、本気でない上に予測の範囲内だったから軽く避けた。
「やーーーっほぅ！」
そうして、また飛びついてきたシンを、アスランは邪険に押し返す。
「離れろ！食事だ！冷める！！」
「俺、今メシよりアンタ食いたいんですけど！」
「後にしろ！」
「嫌です！」
「なら食うな！もう寝ろ！」
「アンタも一緒・・・・っ、痛ぇーーー！」
揉み合った挙句に今度こそ殴られて、シンは結局、ベッドよりも夕食のテーブルに、先につくことになったのだけれど。
翌朝の朝食は、やっぱり、シンが作った。
程よく端の焦げたハムエッグと、トーストと。
それから。
甘いキスの、朝ごはん。