青い花の見る夢は
自分の隣で眠る人を、シンは、どこか不思議な思いで見つめていた。
こうやって、この人と肌を合わせるのは、初めてではない。
それでも、いまだに夢を見ているような気がする。
それは、この人を手に入れられるとは思ってもみなかったからかも知れないし、昼間の厳しいこの人と、夜、ベッドの中の可愛いこの人との差が、あまりに激しいからかも知れなかった。
昼のこの人が、硬い硬いエメラルドなら、夜のこの人は、儚い花弁の、青い花。
たった一輪、つめたい闇に、咲く。
闇に色を増した藍色の髪が、さらさらと、頬や額に降りかかる。
翠玉の瞳を隠した瞼が、時々、ひくひくと震えて。
薄いのに、妙に官能的な唇が、ほんのわずかに吐息をこぼし、それから「ぅん」と小さな声を洩らす。
一緒に被った支給の毛布。触れたままの肌から伝わるのは、十分なほどのぬくもりと、うっかりすると、またその気になってしまいそうな、滑らかな質感。
そして、蜜のような甘い匂い。
やっぱり、不思議だな。
シンはそう思って、そろそろと手を伸ばし、薄い光をあえかに弾く、なめらかな頬にそっと触れた。
柔らかな皮膚。伝わるぬくもり。それを、嬉しく思っていると。
ふる、と、また、瞼が震えた。
触れた頬の筋肉が、きゅっと緊張するのがわかる。
そうして、夢でも見てるのかな、と少年が思う間もなく。
一度引き結ばれた唇が、ひくりと震えて。
吐息と共に、低く、擦れた声を洩らした。
「キ、ラ・・・・・」
シンの指がぴたりと止まる。
シた後の恋人が、他の男の名前を呼ぶ。
まるで、計ったかのようなサイアクのシュチュエーション。
どうして、と思ったシンは、無意識に頬の上にあった手を、その人の首にまわして。
力を込めるその一瞬、アスランの苦しげな表情に、気が付いた。
きつく、きつく寄せられた眉。
一声名前を呼んだ後、辛そうに呻く薄い唇。
きゅ、と、長い指がシーツを掴んで。
それでも弾みで首を絞めかけ、慌てて放り出すように手を離し。
実際、放り出された細い喉が、ころ、と向きを変えて。
夜目にも白いそれが、空に曝されるさまは。
何故だか、酷くゾッとする。
シンが呆然としていると、その喉がひくりと動いて、「う・・・」とまた、苦しげな声を洩らし。
そうして、右手が奇妙な動きでシーツを捏ねて。
翠の瞳が、ぱかりと開いた。
「あ・・・・」
いつの間にか、大きく開かれた口から、嗄れた声。
それから幾度か瞬いて。そうして何か、恐ろしいものを見るかのように、酷くゆっくりとシンの方へと視線を向けた。
「・・・・・何、やってんですか」
シンの問いは、酷く的を外したものだった。
それでもアスランは、また何度も瞬くと、、震える唇で、律儀に答えを返してよこす。
「い、や。・・・・あ・・・・ああ、そうか」
呟いて、それから深く息を吐いて。
「夢、を、見ていた。先の、大戦の・・・・」
また、深く息を吸う。
そうして何度か大きく喘ぎ、ゆっくりと体を返し、呟いた。
「ゆ、め・・・じゃ、ないんだが。・・・・そうか、夢か・・・・」
シンには何だかわからない。
ただ、寝返りと共にあらわれた肩が、ふるふると震えるさまが、シている時よりも、ずっと色っぽく見えて。
そんな自分が、なんだか不謹慎な生き物に思えて、落ち込んだ。
ＰＴＳＤ、心的外傷後ストレス障害。そんな言葉なら、シンだって知っている。アカデミーで習ったからだ。
心身ともに、丈夫に出来ているコーディネイターばかりのザフトでも、これで戦えなくなる者は多いのだという。
シーツを掴んで震える指。
それを、酷く可哀相に思って。
それでも、かける言葉が見つからなくて。
経験浅い少年は、ただただ、困り果て、そうして困った挙句に、サイアク、と思いながらも聞いてしまう。
「キラって、誰？」
「ん・・・」
言ってから激しく後悔したが、言葉は決して戻らない。
しかしアスランは、もう何でもないような顔をして、とろりと光る翠の瞳で、シンを見上げて軽く笑った。
この人に、似合わないほど。
軽いかるい、上っ面だけの笑み。
「友達、だよ」
だから、それが嘘でなくても。
それだけではないと、すぐにわかった。
しかし、アスラン・ザラに、『友達』。
この人の、友達。
それがどうしても想像できなくて、シンは失言を重ねる。
「ザフトの、ですか？」
「いや。違うんだ」
そう言ったアスランは、笑いかけて、今度はそれに失敗したような、奇妙な表情を作ってしまい。
「俺が、殺したんだ・・・・」
そう呟いて。
一度、口を閉ざし。
それから今度はちゃんと、形だけは、ほほ笑みのかたちを作って。
「いや、違う。結局、死にはしなかったんだ。あいつも、俺も・・・・なんでだろうな」
そう言った時、もう、アスランはシンを見てはいなかった。
「なんで、生き残ってしまったんだろうな・・・・」
翠の瞳が虚空を映し、そうして、ゆっくりと閉じられる。
このまま、眠ってしまえとシンは思った。
そんな、嫌な夢のことなんか忘れて。
このまま、眠ってしまえと。
しかしアスランは、ゆっくりとその瞳を開いて。
今度こそ、ちゃんとシンを見てくれて。
今度こそ、ちゃんと、笑った。
シンの大好きな。
めったに見ることができない。
花ひらくような、笑み。
「起こして、すまなかったな、シン」
「・・・・・いえ・・・・・・・・・」
なんでこの人は、こんなふうに笑えるんだろう。
なんでこの人は。
アスランの指は、まだ、きつくシーツを掴んだままだった。
それに触れると、悲しいほどに冷たくて、小刻みに震えていた。
かなしいほど、に。
この人が儚いのだと。
シンはこの時、初めて知った。
「シン？」
シンに向けられた、花の笑みは。
美しいぶん儚くて、夜の薄闇の中、その色は、闇の青と、瞳の翠。
色のない、
その花に、吸い寄せられるようにキスをすると、震える指が、そっとシンの背中を抱いた。
薄い胸が上下する。
そうしてゆっくりと、息をついて。
「・・・お前は、あたたかいな」
「そうですか？」
「ああ」
儚い花は、儚いままに。
ふわり、ふわりと花弁を揺らし。
「だから、俺は・・・・」
そう呟いて、今度はやさしいキスをくれた。
続けられた言葉に、シンは唇を噛み。
そうして、ぎゅっとその人の体を抱き締めた。
『だから俺は、お前のことが好きなんだ』
ぎゅっと、ぎゅっと。
自分の持つ無駄な熱を、全て、この人に移すように。
ぎゅっと、ぎゅっと。
あたたかな水を注ぐように。
あたたかな日差しを、与えるように。
つめたい花が、いつか、あたたかく微笑むように。
あたたかな水を、存分に注がれて。
青い花が、ふわりと、微笑んだ。