安心できる、人
釈放されて外へ出ると、何故だか、似合わない眼鏡をかけたアスランが、両手を広げて抱きしめてきた。
係の人がぎょっとした顔をして、それでも書類を確かめてシンの身柄を引き渡した。
もの凄くびっくりたシンは、そのびっくりが治まると。
なんだか凄くほっとして、アスランにしがみついて、わぁわぁ泣き出してしまった。
「泣き止んだか？もう大丈夫か？」
「こ・・・子供じゃな・・・っ」
まるで子供のように言われ、言い返そうとする声が鳴き声で。
まだか、と呟いたアスランは、またぽんぽんとシンの頭を軽く叩いた。
その手のひらが、あったかくて。
抱きしめていてくれる腕が、あったかくて。
「ぅぇ・・・・・っく」
シンはまた、情けなく嗚咽をこぼしながら、溢れてくる涙をアスランの肩にすり付けた。
だって。
死刑だって、言われたんだ。
お前、死ねって。
死ぬんだよって、言われたんだ。
俺、ただ頑張っただけなのに。
みんなを守ろうって、頑張っただけ、なのに。
実際は、恩赦というかたちで釈放されたけど、ずっと生きた心地がしなかった。
死ななくっても済むようになったから、って言われて、今度はとっとと出てけって言われて。
なんだか知らない名前の親戚が迎えに来てるからって言われて。
ボーゼンとしてるところに、アスランが来て。
いきなり、抱きしめてきて。
そうしたら。
そうしたら。
「とりあえず、何か食べよう。何がいい？おごってやるよ」
肉か？肉だな？イザークに美味い店教えてもらったんだ、と、シンを泣き止ませることを諦めたらしいアスランは、そのままシンの肩を抱いて引きずるように連れて行く。
「アンタ」
「うん」
やっとシンが口をきいた、と耳をすませたアスランは。
「眼鏡、似合わねえ・・・」
言われて、思わず回した腕でシンを締め上げ、その衝撃と、その人の変わらない横暴さへの怒りで、シンの涙はあっさり止まった。
アスランに連れ込まれたのは、オーブに本部のある、チェーン店の焼き肉屋だった。
久しぶりの肉を焼く匂いに、どうしようもなく胃が動く。
気を使ったのは、アスランではなくイザーク・ジュールなのだろう。
半個室に通されて、メニューを広げて困っているアスランに代わって一通り注文を済ませたシンは、どうしていいかわからずに、とりあえずどうでもいいことを聞いた。
「アキ・ミナミって誰」
署名させられた書類にあった、身元引受人、つまりアスランの名乗っていた名前だ。
「ええっと、お前のまた従兄弟にあたる人、だったと思う」
その本人が、ひどく曖昧なことを言う。
「カガリに頼んで見つけてもらったんだけど、シン・アスカなんて知らないって言われて、仕方がないから名前だけ借りた」
勝手に、と付け加えれて、シンは思わず頭を抱えた。
「親戚ン中でコーディネイターだったのウチだけだったみたいなんですよ。だから付き合いとかなくって」
あっても、引き受けてなんかくれなかっただろうけど。
引っ込んでいた涙が、また、出てきそうになる。
「ああ、悪かったな」
この人の『悪かった』は、なんでこんなに悪くなさそうなんだろう。
「でも、血縁が一番問題なく引き取れたから」
どうせ、俺は身分証明を偽造しないとお前の引受人になれないし、と自分の都合だけで話をまとめ、そこで頼んでいたものが出てきた。
大皿に、赤い肉。
その色に、シンはどきりとした。
「ええと・・・ここで焼くのか？」
アスランが、煙を上げる網を見て、へこりと首を傾げて。
それから、手のひらで口を覆ったシンを見て、表情を変えた。
「大丈夫か？顔、青いぞ」
調子が悪かったのか？と、問いかける様子は、心底心配そうで、シンは慌てて首を振った。
「いえ」
そうして、小さく喘ぐように。
「俺も、死体になったらこんななのかなって、思って」
小さく薄い肉片は、家族との外食の思い出よりも、家族の死体を目の当たりにした、あの瞬間を思い起こさせた。
死刑を宣告された、あの瞬間を思い起こさせた。
「・・・とりあえず、イザークの奴は後で殴っておく」
そう理不尽なことを言い、アスランはひどく居心地悪そうに、シンの顔をのぞき込んだ。
「ええと、たぶん、死刑宣告の後の恩赦は、シナリオ通りだったと思うんだ。お前、そう言われてなかったか？」
「・・・言われた」
先の大戦の時の、イザークたちと同じだ。
ここでシンを殺したら、ザフトの志気にも大いに関わる。
しかし、対外的な理由で、前議長に連なる者はなんとかしないと、という妥協案だったのだろう。
「でも、俺、怖かった」
じわり、と、シンの赤い目に涙がにじむ。
「凄く、スゴく怖かった・・・っ」
「ええと」
アスランがまた意味不明に唸ったところで、今度は内蔵系が皿いっぱいに来た。
それを見て、アスランが更にばつが悪そうになった。
「何か他のもの、頼むか？」
アスランが焼けている網の上にメニューを広げそうになり、それを阻止してメニューを奪い、シンはあからさまな空元気な大声を出した。
「食いますよ。肉食いますよ。焼き肉屋来て肉食わないなんてありえねーですよ。中じゃまともな肉食えなかったし。てか、肉追加していい？なんか腹減ってきた。ってあれ？ここユッケないんだ」
「ユッケって何だ？」
「生肉」
「・・・・・・」
アスランが、本格的に黙った。
肉の焼ける匂いというのは、成長期の少年には不思議な力を発揮する。
ましてや、営倉で栄養バランスしか考えられていない食事ばかりだったシンだ。
初めは気持ち悪いと思っていたのに、あっという間に大皿を空けて追加を頼んだ。
どうも初めて食べるらしいアスランも気に入ったらしく、気がつくと普通に、同年代の友人のように、肉の奪い合いを始めていた。
「好きなだけ頼んでいいから端から取るな！」
「焼けるのが間に合ってないんですよ！」
「野菜も食えよお前」
「勝手に人の皿に入れんな！」
「なんだか前が見づらいな」
「眼鏡になんかいろいろ跳ねてますよ」
「取るか」
「取っていいんですか、店の人来ますけど」
「・・・拭く」
そんなことをしているものだから、深刻な話も、肉の合間にうっかりとする。
「だいたい何でまともに捕まったりしたんだよ」
「あんなことになるなんて普通思わないだろ」
「馬鹿だなお前」
「馬鹿言うな。だいたいアンタが逃げ過ぎなんだよ」
「捕まったら、捕まえた方だって困るだろ。面倒だからこっそり殺られるんじゃないか？」
「ならプラント来んな」
「地球でもだいたい同じだ」
「うわぁ・・・」
シンは思わず突っ伏した。
顔が焼き網の上に来て、ちょっと熱い。
どうも、この人は。
行き場のなさでは、シン以上らしい。
肉のせいで思い切り放出されていたアドレナリンがだんだんと落ち着いてきて、シンは再び、声を暗くした。
「俺も、そんな感じ？」
「いや、プラントでならむしろ英雄なんじゃないか？殺せない程度には」
嫌なことを言いながら、アスランは網の上に肉をぶちまける。
「それにお前、顔自体は売れてないだろ。名前を変えれば、地球に行ったって大丈夫だろ」
そんなことを、簡単に言って。
「そういえばお前、これからどうする？」
そんな大事なことを、追加の肉の種類のように聞いた。
「オーブに帰るんなら、カガリに頼んでなんとかしてもらうぞ？」
それはなんだかもの凄く嫌だ、とシンは思った。
なんでアスハに頼まなくっちゃいけないんだよ。
「オーブ艦隊やっちゃったから、オーブはまずいと思います」
それを言うとまた締められそうだと思ったので、とりあえずまっとうそうなことを言う。
言ってから、本当にダメだと、思う。
「そうか？俺もオーブで結構やったけどな」
全く参考にならない例を挙げて、アスランはもうひとつ首を傾げた。
「じゃあプラントに残るなら、ラクスに頼んでなんとかしてもらうぞ？」
それはなんだかもっと嫌だ！
つか、この人の交友関係って！
ぶんぶんと首を振るシンに、アスランは憮然とした。
「じゃあ、どうするんだよ」
「・・・どっか、小惑星かなんかで資源採掘の仕事とか・・・・」
ザフトにいたから、技術や操縦系の資格なら、一通りは持っている。
それも、身分を偽らないといこと前提だけれど。
「資源採掘か・・・あれは、結構しんどいぞ」
「だって、他にどうしろって」
後は火星くらいしか、と思ったところで、自分よりも行き場のないらしいアスランが、自分に焼き肉をおごっていることに思い当たった。
「アンタ、何やってんの」
やっぱりオーブでアスハ頼ってんの？
そうだったら思い切りイヤミを言ってやろうと待ちかまえていたのに、アスランは肉を返しながらけろりと言い放った。
「ああ、ジャンク屋」
「はぁ！？」
ええと、と、アスランがポケットの中から引っ張りだしたのは、定型サイズのＩＤカードだった。
それには、堂々と『アスラン・ザラ』と書かれ、写真まで貼付されていた。
「これ、何？」
「何って、ジャンク屋ギルドの所属証だ」
お前が何をやってるのかって聞いたんだろ、と呆れたように言い、アスランはひどく嬉しげに、ＩＤカードを摘んで笑った。
「ギルドの雇われ技術者だけど、腕がいいからあちこちから声かけてもらって、重宝してもらえてる」
「自分で腕がいいとか言うのかよ」
なんだか悔しいので言い返すと、まるで当たり前のように答えが返る。
「いいぞ？俺は」
ああそうですか。
なんだかがっくりとしたシンの頭を見下ろして、アスランが、ああそうか、と、呟いた。
「オーブにもプラントにも拘らないなら、俺のところで働かないか。最近なんだか忙しいんだ」
は？
シンが顔を上げる。
上げたところで、アスランが肉をほぼ総浚いしかけていることに気がついて、慌てて自分の分を確保する。
「シャトルとかもっと大きい船とか、モビルスーツとかマイクロユニットとか、あとマニピュレーターとか、義肢関係は得意だな。いろいろやるから面白いぞ」
たぶん。
普通の技術者は、そんなにいろいろはやらないから重宝されてるんだろうな、とシンは思った。
そうして、テーブルに置きっぱなしにされたＩＤカードらしきものを見た。
そこには、作業着を着たアスランが、真面目な顔をして写っていた。
「身分証、自分の名前で、大丈夫？」
「身分証じゃなくて、所属証だ。まあ、下手に地球の崩壊しかけた国で発行される身分証より確かだからな。今回はカガリに手配してもらったけど、これでプラントも入れるぞ」
質問に全然答えていない。
てゆうかだからヒトの皿に野菜入れんな。
「そうじゃなくて、アンタこれ本名で大丈夫なのかよ」
「偽名や通り名の奴も多いから、堂々と本名を書いても目立たないんだ」
無茶苦茶だ。
この、無茶苦茶で横暴で人の話を聞かなくて、ヒトの皿に勝手に野菜入れるような人と一緒に、仕事をする。
「たぶん、あんまり安定はしていない仕事だとは思うんだが。それでも大きな仕事をした後は貯金ができるし、小さな仕事は、それこそ山のようにあるし・・・二人で分けても、そうだな、毎日は無理だけど、たまには焼き肉食べられるくらいには稼げると思う」
テーブルに掛けられた伝票を見て、アスランはうんうんと頷いた。
ぶっちゃけ、ヒトの金だと思って高い肉をたくさん食べたから、かなりの額になっているはずだ。
それがたまに食べられるなら、結構高収入なのではないだろうか。
「・・・ええと」
行くところなんかない。
ほんとに、ほんとに何にもない。
それでもシンは生きていて、肉が美味くて、名前を変えずに済むらしいことが嬉しくて、しがみついたこの人があったかくて。
あったかかったのが、嬉しくて。
安心、できて。
「・・・お願いします」
頭を下げると、顔が熱い。
それは、肉の焼けた網のせいだけではなくて。
「お前に頭下げられたの、初めてだな」
アスランは、そう言って。
とてもとても嬉しそうに、笑った。