甘い人
不意に聞こえた軽い電子音が何なのか､レイには一瞬わからなかった。
艦内通信の呼び出し音に似たそれが､自室の前からの、いわゆる呼び鈴であることに気がついて､通信パネルのスイッチを入れる。
普通､わざわざ部屋の前から呼び出したりはしない。艦内通信で呼び出すか、勝手に部屋を開けるかだ。
一体誰だと誰何すると、少しためらってから、アスラン・ザラだと答えが返って来た。
『シンから、ジャケットを取ってきて欲しいと頼まれたんだが・・・』
なんであなたが。
そう思いつつ､うすうす理由も察したレイは､無言でドアを開けてやる。
「・・・すまない。シンのロッカーはこっちでいいのか？」
「ああ」
二人部屋は左右対称の作りだが､シンが使っている側と、レイが使っている側の違いくらいはわかるらしい。
シンのロッカーに向かう背中を眺め､レイは先ほどの予想を確信した。
重心の定まらない足運びに､わずかに湿気を含んだままの髪。
何よりも、纏う空気の艶の色。
シン・・・
あの馬鹿､何をやっている。
険しくなったレイの視線にまるきり気付かず､アスランはロッカーから予備のジャケットを引きずり出して、閉めた。
「ジャケットだけでいいのか？」
「・・・・・・」
そこで黙るなら､自覚はあるということか。
しかし大戦の英雄は､意外と大胆だった。
「他のはどこにあるか､わかるか？ここには入っていないんだが・・・」
振り返った表情は、特に変わらない。
声の調子も全く変わらない。
ただ、頬が少しだけ赤い。
「こっちだ」
レイは、シンのベッドの陰に落ちていた､ランドリーパックを拾い上げた。
中から着替えの一式を取り出し､アスランの抱えた赤いジャケットの上に乗せる。
「ありがとう。助かった」
わずかに表情を緩め、軽く頭を下げて礼を言う。
恐らく、こういうところがシンの好みなのだろうが。
「あなたは、あいつを甘やかしすぎる」
苦言めいた言葉に、アスランは軽く首を傾げた。
その瞳は、まっすぐにレイを見て。
「・・・やはり、シンにとって良くないことだと思うか？」
良くないと思うからこそ言ったのだ。それがわからないというのか。
「でも俺は・・・甘えられるうちに、甘えておいて欲しいんだ」
誰しも、それができなくなるときが来るから｡
そう言い置いて、アスランは部屋を出た｡
それから、振り返ってもう一言だけ。
「・・・ありがとう」
それが、服に対しての礼ではないことがわかって、レイは憮然とする。
「あなたに礼を言われる筋合いはない」
俺は、シンの心配をしているんだ。
呟いた言葉は、閉じたドアに当たって、落ちた｡
「お前・・・シャワー浴びてろと言っただろう」
シンの着替えを持って戻ると、部屋を後にしたときと同じ格好で彼がそこにいるので、アスランは思わず声を荒げた。
「え、と。すみません。あ、シャツとか場所わかったんですか？」
アスランの精に汚れたジャケットまで着たままのシンは、着替えを受け取ろうとして、かわされる。
「レイに出してもらったよ。いいから、いつまでもそんな格好でいるな」
とにかくシャワーを浴びて来い、と背中を蹴られ、浴室に向かって一歩、二歩。
それから振り返って。
「・・・それって、バレてます？」
「お前を甘やかすなと言われたよ」
「え」
レイにバレたことよりも、そっちの方が気になる。
「俺って、あなたに甘やかされてるんですか？」
「感謝しろよ」
着替えを投げつけられ、襟のカラーが額に当たって痛かったけれど、シンの頬は、自然に緩んで止まらない。
「・・・・・はい」
家族を失って。誰かに甘やかしてもらうなんて、もう二度とないと思っていたけど。
他でもないあなたが、俺に。再びそうしてくれるなんて嬉しい。
「ありがとうございます」
満面の笑みと共に返った素直な礼に、面食らったような顔をしたアスランが、すぐに我にかえって怖い声で言った。
「シャワー」
それが照れ隠しなのはわかったけれど、シンはこくりと頷いて、浴室のドアを開ける。
失うばかりが人生ではないと、シンは、初めて知った。