赤い雨
気がつけば、そこは、暗くてあたたかな場所だった。
手足は泥のように重く、頭の芯が、じん、と痺れているようで。
疲れた、な。
でも、ここはとても気持ちがいい。
その、あたたかな闇の中に、アスランはとてもゆっくり、ゆっくりと沈んでいく。
このまま沈んでゆけば、もう、この手足の重さもなくなって。
辛いことも、苦しいことも。
何も、なくなって。
楽になれることを、知っている。
それは、命に刻まれた、最期への道標。
そうか。
もう、いいんだ。
アスランは、かすかに笑う。
もう、いいんだ・・・・
見上げた先は、すべて闇。
沈みゆく先も、闇。
アスランを満たしていくものも、やさしく、あたたかな闇。
ゆっくりと、ゆっくりと。
アスランは、その闇の中へと沈んでいく。
原初の闇に抱かれて、眠る、その幸福。
アスランが、安堵の息をつき。
これが最後と目を閉じて、その深い淵へと、落ち込もうとしたその時だった。
閉じたはずの瞼裏に、赤い光が閃いた。
この、あたたかな闇を切り裂く、狂暴な光。
やめろよ。
せっかく、やっと。
―――――るのに。
ああ、でも。
赤い光。
閃光のような声。涙に濡れてなお、鮮烈な。
泣くなよ。
泣くな。
闇の中を、赤い光が、雨のように、降る。
泣くな、よ・・・・
アスランは、たまらなくなって、重い腕を上げた。
赤い腕だ。指の先まで、血まみれの。
その血の重さに負けて、また、それは落ちてしまったけれど。
でも雨が。
赤い、雨が。
シン
シン
泣くな・・・・・
再び上げた腕は一度目よりも重く、それでも、落ちることはなかった。
赤い雨が降りしきる。
あたたかな闇は、赤い雨に溶けて、消える。
とたん、背筋を氷で貫かれたような激痛に、アスランは息を詰まらせた。
赤い雨に溶け残った、慕わしい闇が見える。
あそこは、まだ、あたたかい。
こんな痛みなどとは無縁の、あたたかくて、やさしい場所へと続いている。
でも。
大きく息をついたつもりだった。しかし、肺に酸でも流し込まれたような、筆舌に尽しがたい苦しみに、身をのたうたせるはめになった。
でも。
ひと呼吸ごとに臓腑がひりつく。
骨が髄から痛んで、止まらない痙攣に肉が破れそうだと思った。
でも。
痛みを感じるということは、俺はまだ、生きているということ。
呼吸が辛いということは、俺はまだ、生きているということ。
シン
お前に、また、会えるということ。
お前に、してやれることが、あるということ。
瞼が開かない。
あのあたたかい闇も。
赤い雨も。
赤い光も、もう、見えない。
でも。
お前が、泣いているのはわかるから。
お前の声が、聞こえるから。
だから、泣くな。
俺が、きっと、助けてやるから。
左腕に、種類の違う痛みが走る。
針、注射針、いや、点滴。
ゆっくりと、痛みが遠くなる。
痛みと共に、意識まで。
大丈夫、恐らく、鎮痛剤だ。
大丈夫。
俺は、死なない。
大丈夫。だから。
お前は、泣くな。
泣くなよ・・・・
アスランの意識は、再び、闇に落ちた。
しかしそれは、あのあたたかな闇ではなくて。
沈みゆくその先にあるものは、新しい苦痛と、戦い。
でも。
スピーカー越しに洩れ聞こえた、慟哭の声。
近くて遠い、君の声。
俺は、お前にまだ、してやれることがあるから。
だから・・・・
「奇跡だな。峠は越えたようだが、油断はするな。酸素はこのまま。暴れるようなら、鎮静剤をもう一単位上げてもいい」
「わかりました」
処置室の、冷たいベッドの上で。
アスランは、辛い息を継ぐ。
シン
声には、ならないけれど。
誰も、知らないけれど。
シン、シン
泣くな。
泣くなよ・・・・・