１たす１は、２。
買ったのは、甘いミルクチョコレートだった。
包みは緑で、リボンは赤。
クリスマスカラーはいつだって、シンを元気にしてくれる。
それから、区役所で書類をもらって、サインして。
それを持って、知り合いの家に行って。帰って。
家の前では、深呼吸。
もう、二年も住んでる家だけど、今日だけは、ノブを回すのに勇気が必要だった。
「ただいまー」
「おかえり」
リビングの方から、声がする。
もう帰ってたんだ、良かった。
そう思って、シンは勇んでそこへ向かった。
「アスランさん！チョコ食べますよね！」
「ああ。・・・ほら、お前の分もあるぞ」
「嘘！？」
アスランが差し出したのは、徳用ウエハースチョコの大袋だった。
それでも赤いリボンがかけてあって、メッセージカードまで添えてある。
「アンタからもらえるなんて思わなかった」
酷く感動したシンの様子に、アスランは苦笑して。
「俺だって、そのくらい覚えてたさ」
そう言って、シンの渡したチョコをしげしげと眺めた。
「可愛いな」
「あんたがゴーカイなんですよ」
「でもお前、多い方がいいだろ？」
「はい！」
しかもそのチョコはシンの好きな銘柄だった。
チョコとウェハースのバランスが良くて、美味しい。
去年のバレンタインには、二人で墓参りに行った。
とはいえ、この日が命日のレノア・ザラの空っぽの墓所は、プラントにあって、オーブに住むアスランは、そう簡単には行けないから。
だから、一番近くのユニウスセブンが落ちた海に、花を手向けに行った。
冥福と、そして平和を祈った。
「花、買ってきたんだ。今年も付き合ってくれるか？」
外出着のままのアスランが、少し寂しげに笑う。
この日は、アスランが母親を亡くした日。
家族を、亡くした日。
だから。
「その前に、これにサインして欲しいんですけど」
「何だ？借金するとか言うなよ」
「違いますよ。何言ってんですか」
むくれたシンは、持ってきた書類をばん！とテーブルに置いた。
それは、Ａ３ほどの大きさの書類だった。
細かく区切られた記入欄は、半分以上、見覚えのあるシンの字で埋まっていて。
その、一番上には、一際大きなフォントで。
『婚姻届』
と、書かれていた。
「・・・俺は、男だぞ」
「わかってますよ」
「なんで婚姻届なんだ」
「アンタと結婚したいからに決まってるでしょーが」
アスランは、呆然とシンの赤い瞳を見下ろした。
手の中で、シンのくれた包みが、かさりと音を立てる。
「どうして・・・」
「俺は、そこでどうしてとか言うアンタの気が知れないです」
シンにそう言い切られて、アスランは口をつぐんだ。
「同性婚の条件は、双方が18歳以上であること、同一住所に二年以上居住し、生計を同一にしていること・・・俺、去年１８になりました。先月で、一緒に暮らし始めて二年だ。これで、結婚できる条件整いましたよね」
そう。
オーブでは、簡単な条件さえ整えば、同性婚が認められている。
それくらい、アスランだって知っている。
「でも・・・シン」
望まなかったといえば、嘘になる。
アスランはいつも寂しくて。
そうして、悲しかったから。
だから、この大切な少年が、家族になってくれればいいと。
そう、望まなかったといえば、嘘だ。
でも。
「お前はきっと、後悔する。だから、俺なんかを伴侶に選ぶのはやめておけ」
「なんでそんなこと言うんですか！」
こう言えば、シンが激昂することはわかっていた。
わかっていながら、アスランは他に言葉を持たない。
「後悔するって決め付けないで下さいよ！俺は！！」
少年の真っ赤な瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「俺は！アンタの家族になりたいんです！」
３ひく１は、２。
２ひく１は、１。
４ひく３は、１。
１たす１、は。
「お前の気持ちは嬉しいよ、シン」
アスランは、少年の涙を辛く眺めながら、それでもゆっくりと首を振る。
「でもやっぱり、お前は後悔すると思うんだ」
「だから勝手に俺の気持ち決めんなよ！」
「後悔するさ。お前が俺に家族をくれても、俺はお前に家族を増やしてはやれないんだから」
１たす１は、２。
でも、この２は。
決して、２よりも多くはなれない。
アスランがいつも寂しいように、シンだって、いつも寂しい。
それを埋める術をシンは知っていて。
そうしてアスランは、それを知らない。
家族が、まだ生きていた頃、
やっぱり寂しかったアスランは、知らない。
シンはきっと、家族が出来れば寂しくなくなるのだろう。
そうして自分は、それをシンに与えてやることができない。
この愛しい少年のために出来ることは、ほんのひと時、寂しさ同士を埋めあって、慰めてやることだけ。
「そんなこと、とうに知ってますよ。今更何言ってんですか」
しかし、シンは聞き分けない。
ただ、真っ赤な顔をして、真っ赤な目から、ぼろぼろと、涙をこぼして。
「俺が何にも考えなかったと思うんですか！？それでも俺、アンタがいいんだから！アンタじゃなきゃ、嫌なんだから！！」
少年の涙が、そっけない書類の上に落ちて、染みる。
「父さんも母さんも、マユももういなくって、俺ずっと寂しかった。アンタが来てくれるまで、俺ずっと寂しかった！！」
「・・・だから、お前がちゃんとした相手を見つけるまでだったら、俺は・・・・・」
「ちゃんとした相手って誰ですか！どこにいんですか、どこに！！」
「シン、落ち着け」
「アンタの他にいるわけないだろバカヤローー！」
ひとしきり喚いたシンは、なだめようと側に立ったアスランの、困り果てた顔をぐっと見上げた。
「それともアンタ、俺じゃダメ？俺がいても・・・寂しい？」
必死な必死な少年の瞳。
拾ってくれと鳴く、仔犬のような。
でも、たぶん。
俺に拾われても、お前は幸せにはなれないよ。
「ああ、寂しい」
赤かった少年の頬が、さっと青ざめた。
しまったな、とアスランは思ったけれど、それでも彼に、嘘はつきたくないから。
「お前がいても、俺は寂しい」
寂しくて、そうして悲しい。誰がいても、きっと、それは変わらない。
「俺じゃダメですか」
「お前がダメなんじゃない」
そうしてアスランは、見ているシンが泣きたくなるほど、悲しげに笑った。
「俺が、ダメなんだ」
父も母も、側にいた。そんな日々の記憶は遠い。
遠すぎて、今のアスランには、まともに思い出すことすら出来ない。
あるのは、ほんのかすかなイメージだけ。
甘くて、すぐに溶けてしまう。
遠い昔に口に含んだ、甘いチョコレートのようなイメージ。
だから。
「父さんも母さんも生きていた時だって、俺はずっと寂しかった。だから、お前がいてもやっぱり寂しい。お前のせいじゃない。俺が、ダメなだけなんだ」
そう言って、アスランは少年の肩を軽く叩くと、傍らに置いてあった花束を手に取った。
白、水色、ピンク色。
儚い色ばかりを集めた、花束だった。
「今日は、一人で行ってくる。・・・・すまない、シン」
儚い花のその向こう、アスランの表情も、また、儚い。
「待てよ！」
シンは、その前をさえぎった。
「シン」
諭すような、アスランの声。
それもまた、さえぎって。
「誰といても寂しいんなら、俺といたっていいじゃないですか！俺はアンタといないと寂しいんだよ！他の誰かじゃダメなんだ！」
少年は、必死になって吠え立てる。
「誰でもダメなら俺でもいいだろ！俺はアンタじゃないとダメだって言ってんだ！！」
１と１は、それぞれ、１。
たさなければ、永遠に、２にはなりえない。
シンは、アスランの手から、花束を奪い取った。
薄水色のスイートピーが、一輪落ちる。
それを踏みしだいて、シンはアスランに書類を突きつけた。
それはただの紙切れだ。
でも、シンに家族を作ってくれる、紙切れだ。
「やってみなきゃわかんないだろ！今寂しくっても、そのうち、寂しくなくなるかも知れないじゃないか！」
「・・・シン」
「アンタ、グズだから丁度いいんだ。きっと、１００年も経ったらわかるかも知れないよな！」
「・・・・１００年も経ったら、死んでるよ」
「墓ン中まで一緒にいたらいい」
「無茶苦茶だな、お前は・・・・」
アスランは、花束を持っていた手で顔を覆った。
もう片方の手の中で、シンの渡したミルクチョコレートの箱が、また、かさりと音を立てる。
「握り潰さないで下さいよ」
「・・・・・ああ、すまない・・・・・・」
アスランの、涙声。
シンは、どうしたらいいかわからなくなって。
わからないから、ぐい、と。
また、婚姻届を突き出した。
「サインください。してくれたら、区役所行って、それから二人で、海行きましょう」
「・・・・っ・・・・・・・」
「泣かないで下さいよ」
「・・・・・・・・」
「泣くなってば」
シンは、花束と書類を持った腕を下ろした。
落ちた花に気付いて、それを拾う。
「ねえ」
アスランは動かない。
「ほんとに、俺じゃダメ・・・？」
アスランが、ずっと寂しいことくらい、シンだって知っている。
今の自分では、まだ、それを埋めてあげられないことも。
だから、この書類の力も借りて。
今、精一杯のことをしようと思っているのに。
「・・・ダメ？」
捨てられた仔犬の表情で、悲しげに首を傾げる。
その手には、花束と紙切れ。
踏み潰された薄水色の花。
その汁が、端についた紙切れ。
「・・・の、ばか」
「え？」
しっとりと、濡れた指が伸びた。
そうして、シンの手から、潰れた花ごと書類が取り上げられる。
その、もうだいぶぐしゃぐしゃになった、紙切れに。
「名前・・・俺は、妻の欄か？」
「え、あ、嫌ならまたもらって来ます！」
「いいよ。・・・ペン、ないか？」
「あります！」
「うん」
アスランは、シンから受け取ったペンで、妻の欄にサインをした。
シンの顔が、ぱっと明るくなる。
「アンタ・・・！」
「職業も書くのか？・・・それに証人ってこれ」
「はい。もう書いてもらいました。だって今日中に出したかったし」
証人の欄には、フラガ夫妻の名があった。
「お前、嫌いなんだと思ってた」
「仕方ないじゃないですか。他に頼めそうな人、俺知らないし。それに」
シンは、花束に視線を落とした。
「ステラのこと、仕方がなかったって、わかってるし」
シンに嘘をついたあの人は、シンがステラを葬った場所を知った後、そこに花を手向けに行ったのだという。
そして、夫妻の娘の名は、ステラという。
「お前・・・・」
そう言いさして、書類を書き終わったアスランは、それをシンに押し付けて、花束を奪い返した。
「大人になったんだか、まだ子供なんだか、わからないな」
「うるさいです」
そうして少年は、つくづくと書きあがった書類を眺めた。
これは、きっとただの紙切れなのだろう。
それでも、シンに。
アスランに、家族を作るための、紙切れなのだ。
「それを出したら、ついでに離婚届ももらっておこう」
ドアを開けながら、アスランが言う。
「うわひでえ！なんですかそれ！！」
その後を、シンが追う。
「俺が、自信がないだけだよ」
アスランは、まだ少し、涙声だった。
「なら、婚姻届ももう一枚もらいます」
「怒られるぞ」
「いいでしょ、もらっとくくらい」
南国の長い昼も、もう、終わろうとしていた。
「この時間でも受理してもらえるのか？」
「できます。確かめてきました」
シンは、アスランの手を取って。
その手を繋いで、歩き出す。
１たす１は、２。
「ああ、こういう感じなんだな」
その手を、アスランはきゅっと握り返した。
「寂しくないって、いうのは」
「・・・・はい！」
この日、家族になった二人は。
きっともう、寂しくなんか、ならないから。
家族を亡くした、２月１４日。
家族をもらった、アスランは。
新しい家族と、手を繋いで。
家族の眠る、海へと向かう。
１たす１が、２。
西の空には、気の早い一番星がひかり始めていた。